緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

司法制度改革期における弁護士のあり方(法曹志望者向け)

こんにちは~

本日は司法制度改革について考えてみたいと思います。司法制度改革といっても、その内容は多岐にわたっていますが、今回は主要政策である「多数の法曹の養成」(司法制度改革推進法第2条)に焦点をあててみましょう。「多数の法曹の養成」とは、具体的には、司法試験合格者数を3000人を目標に拡大することでした。後述しますが、現在では、この目標は撤回されています。

既に司法制度改革については、リアル社会でもネット上でも、かなり議論がなされてきたところですから、私がここで制度の是非について論じるには及ばないかと思います。もっとも、制度にネガティブになって批判したところで何も解決しませんので、この記事では、現行制度の是非は置いておいて、現行制度の上でどうやって弁護士として仕事をしていくのが望ましいのかを、一般市民の視点を考慮しつつポジティブに考えてみたいと思います。いいんです、ゆるふわブログですから。気楽に前向きにいきましょう~

◆司法制度改革とは

さて、議論されてきたとはいえ、とりあえず最低限のことだけは押さえておきましょう。司法制度改革は、裏で最高裁日弁連や官僚などの思惑がうごめいていますが、ここではそういった話は可能な限りバッサリとカットすることにします。そういったドロドロした話は、小林正啓『こんな日弁連に誰がした?』(平凡社、2010年)が非常によくまとまっていますので、そちらに譲りたいと思います。

こんな日弁連に誰がした? (平凡社新書)

こんな日弁連に誰がした? (平凡社新書)

 

日本の法律家を目指す方なら、やはり条文から入ってみましょうか。司法制度改革推進法第2条に司法制度改革の基本理念が定められています。

司法制度改革は、国民がより容易に利用できるとともに、公正かつ適正な手続の下、より迅速、適切かつ実効的にその使命を果たすことができる司法制度を構築し、高度の専門的な法律知識、幅広い教養、豊かな人間性及び職業倫理を備えた多数の法曹の養成及び確保その他の司法制度を支える体制の充実強化を図り、並びに国民の司法制度への関与の拡充等を通じて司法に対する国民の理解の増進及び信頼の向上を目指し、もってより自由かつ公正な社会の形成に資することを基本として行われるものとする。

長々と分かりにくく書かれていますが、条文の構造から、司法制度改革の理念は「より自由かつ公正な社会の形成に資すること」を軸に次の3つの柱で構成されていることが読み取れます。

  1. 司法制度の構築
  2. 多数の法曹の養成及び確保
  3. 国民の司法制度への関与の拡充等

ここでは、さしあたり「多数の法曹の養成及び確保」という点について見ていきたいと思います。3つ目の「国民の司法制度への関与の拡充等」ですが、これは裁判員裁判制度等を指しているので、この記事では扱いません。あらかじめご了承ください。

推進法2条から司法制度改革の理念はわかるのですが、その背景についてはもう少し説明が必要でしょう。司法制度改革の出発点となった司法制度改革推進計画(2002年)は、次のように述べています。

社会の複雑・多様化、国際化等がより一層進展する中で、行政改革を始めとする社会経済の構造改革を進め、明確なルールと自己責任原則に貫かれた事後監視・救済型社会への転換を図り、自由かつ公正な社会を実現していくためには、その基礎となる司法の基本的制度が新しい時代にふさわしく、国民にとって身近なものとなるよう、国民の視点から、これを抜本的に見直し、司法の機能を充実強化することが不可欠である。 〔…〕司法制度改革を推進するに当たっては、司法制度改革推進法に定める基本理念にのっとり、国民がより容易に利用できるとともに、公正かつ適正な手続の下、より迅速、適切かつ実効的にその使命を果たすことができる司法制度を構築し、高度の専門的な法律知識、幅広い教養、豊かな人間性及び職業倫理を備えた多数の法曹の養成及び確保その他の司法制度を支える体制の充実強化を図り、並びに国民の司法制度への関与の拡充等を通じて司法に対する国民の理解の増進及び信頼の向上を目指し、もってより自由かつ公正な社会の形成に資することとするものとし、同法に定める基本方針に基づく施策を実施するために必要な法制上又は財政上の措置その他の措置を講ずることとする。〔強調引用者〕

司法制度改革推進計画(平成14年3月19日閣議決定)- 首相官邸

また、法務省は、司法制度改革について次のように説明しています。

司法は,国民の権利の実現を図るとともに,基本的人権を擁護し,更には安全な社会を維持するなど,国民生活にとって極めて重要な役割を果たしています。21世紀の我が国では,社会の複雑・多様化,国際化などに加え,規制緩和などの改革により,「事前規制型」から「事後監視・救済型」に移行するなど,社会の様々な変化に伴って,司法の役割は,より一層重要なものになると考えられます。そこで,司法の機能を充実強化し,国民が身近に利用することができ,社会の法的ニーズに的確にこたえることができる司法制度を構築していくことが必要とされているのです。〔強調引用者〕

法務省:司法制度改革について

推進法2条は、推進計画の文章の後ろのほうと、ほとんど同じ内容だということがわかります。注目してほしいのは、推進計画の冒頭の部分です。「社会の複雑化・多様化、国際化等がより一層進展」しているとの時代認識があります。要するに、司法制度改革の背景にはグローバリゼーションの進展があるのです。グローバリゼーションとは、簡単に言えば、世界規模のヒト・モノ・カネ・情報の交流の活発化です(なお、これは周知のようにアメリカが主導しています)。そして、推進計画には「社会経済の構造改革」を進めると書いてあります。法務省の説明では、これは「規制緩和など」のことであると具体的に指摘されています。そして、これらを踏まえて目指す社会が、「事後監視・救済型社会」というわけです。

事後監視・救済型社会とは、簡単に言えば、今まで法律で一律に規制されていた部分を縮小して、それに代わって弁護士が個別に対応するという社会のことです。民間の自由な活動にウェイトを置いた社会です。法律による事前規制の縮小(すなわち、規制改革)といっても、実際に念頭に置かれているのは、縦割り行政によって複雑化した業法や細かい政令、内閣府令、あるいは、行政指導という極めて不透明な手法やガイドライン行政などです。これらは一種のパターナリズムですから、多用されると民間企業等は自律的な活動が行いにくくなり、新規事業の展開や起業などに委縮効果を与えることになってしまうということなのです(突き詰めれば、計画経済に至りかねません)。ですから、政府はこのような事前規制型社会(行政国家現象・行政の肥大化)からの転換を図ろうとしたのです(立法・行政側としては、国家予算の2倍超の財政赤字をなんとかしたいという思いもあったかもしれません)。この考え方によると、紛争発生率は増大してしまうのですが、そのリスクを上回る公共の利益がもたらされることになるので、社会全体としてはプラスになるわけです。

こういった事後救済型の社会では紛争が増えることが予想されますから、紛争当事者の救済に多くの弁護士が必要となりますし、そもそも紛争が起こらないように民間企業などではリーガル・リスクを予防する弁護士(いわゆるインハウスロイヤー)が必要となってきます。司法制度改革が「多数の法曹の養成及び確保」を目的としたのは、このような理由からなのです。これらを簡潔に表現すると下の図のようになります。

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そして、この考え方が成り立つためには、必然的に次のことが必要になります。

  • 規制改革が行われること
  • 損害賠償請求等の救済制度が拡充されること
  • 裁判所の利便性・迅速性を向上させること

これらの前提を満たさなければ、弁護士人口を増やしてもあまり意味がありません。上の前提を達成するために、推進法2条は「国民がより容易に利用できるとともに、公正かつ適正な手続の下、より迅速、適切かつ実効的にその使命を果たすことができる司法制度を構築」することを掲げているわけです。

しかしながら、現実には、規制改革はあまり進んでおらず、いまだ救済制度も不十分で、裁判所の審理にも時間がかかるという状態にとどまっています(数値的に見れば、日本の民事訴訟の平均審理期間の長さは世界でも短いほうですが、これは過払金訴訟という世界に類を見ない大失態を日本の司法がやらかしたからです。過払金訴訟には時間がかかりません)。本来ならば、司法制度改革と同時並行して、規制改革や救済制度の拡充を行わなければならなかったのですが、そうしなかったわけです。しかも、司法試験も司法修習も、あいかわらず従来と同じような裁判実務中心・法廷法曹中心の内容でした(アメリカのロースクールではじめに契約書の不備を指摘させることとは対照的です)。このような状態で司法試験合格者の数だけを増やした結果が、弁護士の就職難です。これがひとつの大きな要因となって、政府は3000人目標を撤回することになります。

政府は16日、法曹養成制度関係閣僚会議(議長・菅義偉官房長官)を首相官邸で開き、司法試験の合格者数を「年3千人程度」とした目標を撤回し、法科大学院に自主的な定員削減や統廃合を求めた有識者会議の提言を政府方針として正式に決定した。

司法試験「合格目標3000人」撤回を正式決定 政府 :日本経済新聞

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法務省:司法試験の結果についてから作成)

上に見たように、「多数の法曹の養成及び確保」とその具体化としての司法試験合格者数の増加は、司法制度改革の基幹部分でした。具体的な数字として年間3000人の合格を目標にしていたわけですが、2013年7月16日の法曹養成制度関係閣僚会議で正式に撤回されたのです(その後、2014年の司法試験では、合格者が200人ほど減らされています。上図青色部分)。すなわち、事実上、2013年に司法制度改革は挫折したことになります。今後、政府がどのような対応をとるかはわかりません。したがって、現在、法曹を目指されている方は、非常に不安定な立場に置かれることになります。

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日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:基礎的な統計情報(弁護士白書2013年版等から抜粋)「弁護士数の推移」から作成)

◆どこに向かうべきなのか

このような司法制度改革は、様々な方面から批判を受けました。法科大学院制度が批判にさらされていることもご存知かと思います。予備試験の扱いも混乱を極めています。それでは、これからの社会の法曹としては、どこに向かうべきなのでしょうか。もはや旧司法試験時代には戻れません。その時代は終わりました。前を向かなくてはなりません。

現時点では、予備試験を受けるのが法曹志望者として合理的な選択かもしれません。しかし、社会という視点から見た場合には、それが望ましいことだとは必ずしも言えないことに注意してください。法曹志望者にとって合理的な選択であることと、社会にとって望ましいこととは異なります。本来は制度として一致させるべきだったのでしょうが、残念ながらそうなっていません。ここでは、どのような法律家を目指すのかという問題について、選択を迫られることになります。ただし、これは必ずしもルートの選択という意味ではありません。

予備試験合格者のほうが優秀ということは周知のとおりですが、その認識が共有されているのはもっぱら法曹関係者間だけだということを忘れないでください。単に仲間受けがいいだけです。就職が早まるメリットがあるくらいです。予備試験か法科大学院かといった類の問題は、もっぱら供給者側の都合で、クライアントとは何の関係もありません。一般市民の視点に立ってみると、その法律家が予備試験合格者であろうが、法科大学院出身者であろうが、あるいは、司法試験上位合格者であろうが、どうでもいいことです。自分のために仕事をしてくれるかどうかだけが関心事です。供給者パラダイムに陥らないでください。一般市民にとっては「コップの中の嵐」です。

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よく「法曹の質の確保」と言いますが、法曹の質などは重要ではないのです。「法曹の質」として念頭に置かれているのは、司法試験の順位などでしょうか。これは、日本的な「良いモノを作ったら売れる」との考え方と似たような発想ですが、いずれも同様に誤っています。なぜならば、消費者(クライアント)の視点が決定的に欠落しているからです。必ずしも因果関係は不明ですが、民事訴訟の利用者満足度は、むしろ法科大学院制度発足以降のほうが向上しています(この点では、法曹の質は向上したとも考えられるわけです。それでもかなり低いと言わざるをえませんが)。いずれにせよ、法曹の質がよかろうが悪かろうが、クライアントを満足させられなければ意味がありません。

一般市民(クライアント)のことを考えているかどうかは、わりと簡単に判断できます。一般市民のことを考えない弁護士は、自分たちの職のことしか眼中にありません。供給者側の都合しか考えないのです。たとえば、弁護士の就職難や仕事不足がたいへんだとか、司法書士などが行っている非弁ぎりぎりのグレーゾーンの行為を弁護士が取り締まればよいなどと言っていたりしますが、それを行うことが一般市民のためになるかという視点は忘れ去られています。結局は、供給者側の都合による意見なのです。一般市民にとって、仕事を任せるのが弁護士か司法書士かなどはどうでもいいはずです。常に「これは本当に一般市民のためになっているか?」を考えなければ、ただ既得権益を守るだけの弁護士になりかねません。あなたはそういう弁護士になりたいと思いますか? そういう弁護士に仕事を依頼したいと思いますか? おそらく答えは否定的になるでしょう。また、成果を出していない弁護士ほど、自らが「弁護士」であることを強調します。成果を出していないので、資格に頼るしかないからです。新人ならセルフ・マーケティングのための能力証明資料として理解できるところですが、5年目以上の弁護士が同じようなことをしていたら能力に問題があると考えて差し支えないでしょう。仕事の成果よりも資格や司法試験の順位を誇るような弁護士は、ほぼ間違いなく一般市民やクライアントの視点が欠落しています。こういう弁護士は、これからの時代では通用しなくなるでしょう。

ごちゃごちゃと書きましたが、ここで言いたいことは、どういうルートを選択するにせよ、最終的な目標は、一般市民に法的サービスを通じて何らかの価値を提供することにあるのだということです。どのような価値を提供するかは、あなた自身が考えて、決めなくてはなりません。P.F.ドラッカーの「あなたは何で覚えられたいか」という言葉がヒントになるでしょう。これは、いかなる業種においても同じことですが、これまで幸か不幸か弁護士業は、そういったことを考えずにやっていけました。しかし、これからはそうはいきません。弁護士になれば仕事があるという時代は既に終わったのです。あなたは、「司法試験で成績上位の人」と覚えられたいのか、「M&Aの専門家」と覚えられたいのか、「刑事弁護のプロフェッショナル」と覚えられたいのか、あるいは、「公害問題で苦しむ大勢の人々を救った弁護士」と覚えられたいのか。これが、あなたが考えるべき目標の選択の問題です。どういうルートで法曹になるのかは、そのあとで考えればよいと思いますし、個人的にはどういうルートでも最終的な目標さえしっかり持っていれば大丈夫だと思っています。

なお、これから制度がどう変わっていくのかは予測できませんが、グローバリゼーションの進展は確実ですので、目標の選択にはこのことを考慮すべきでしょう。また、グローバリゼーションに限らず、今後の時代変化にいかに対応するかが問題です。リンダ・グラットンは「未来を形づくる5つの要因」として次のことをあげていますから、これを参考にするのもよいかもしれません(リンダ・グラットン『ワーク・シフト』(プレジデント社、2012年))

  1. テクノロジーの進化
  2. グローバル化の進展
  3. 人口構成の変化と長寿化
  4. 社会の変化
  5. エネルギー・環境問題の深刻化
ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

 

◆補論:職業免許制度を考えるときの視点

司法制度改革の議論を見ていると、弁護士資格について、いろいろと誤解といいますか、論者にバイアスがかかっていることが多いので、この機会に1点だけ指摘しておきたいと思います。議論で賛成するにしろ反対するにしろ、このあたりは押さえておいてほしいところです。それは、職業選択も自由が原則であるべきだという点です。

司法制度改革の問題(法曹人口増加の問題)は、根本的には弁護士が職業免許制度を採用していることから生じています。原則論から考えてみましょう。そもそも、法曹という職業を選択することは個人の自由であって、基本的には制限を設けてはならないはずです。「何人も、公共の福祉に反しない限り、…職業選択の自由を有する」(憲法22条1項)のであり、一般に許可制は、職業選択の自由そのものに対する強度の制約で、しかも、消極目的での規制になりますから、違憲の疑いが強くなります(おなじみの薬事法違憲判決の通りですね。最判昭和50年4月30日民集29巻4号572頁参照)。そして、規制をかけるのであれば、それは原則としての自由に対する例外的制約ですから、規制をかける側が立証責任を負わなければなりません。また、このことは3000人目標から減少させるべきだという意見についても同様に妥当します。ですから、合格者数を増やすことに本来は理由などいりません。そして、減らすことにのみ厳格な正当化論証が課されなくてはなりません。

そこで、正当化論証にあたっては、本質的には次のことが問題となります。弁護士の職業免許制度が存在する理由はいったい何なのでしょうか? 法曹人口増加に対する反対意見には、職業選択の自由を侵害するだけの正当化事由を主張しているものがあると言えるのでしょうか? いわゆる目的・手段審査ということになるでしょうが、仮に弁護士の就職率が悪かったとしても、それ自体に問題はありません。なぜならば、弁護士市場も自由市場だからです。自由市場経済を採用する限り、完全雇用はありえません。人材供給をコントロールしようとするのは、計画経済の発想です。完全雇用がありえるとしたら、社会主義国家か戦時経済くらいです。つまるところ、弁護士の職業免許制度や司法試験合格者数の減少を正当化するにあたって、就職率を考慮することは極めて困難なのです。

これについて、「法曹という職業の重要性・特殊性に鑑みると、法曹の質を担保しなければならないからだ」と考える方もいるかもしれません。この考え方によると、弁護士の職業免許制度の趣旨は、消費者(クライアント)の保護であると理解することになります。しかし、これでは十分な説明になっていません。消費者(クライアント)に良質な弁護士を選ぶ能力がないのだとすれば、行うべきことは選択できるようにするための情報の開示であって、参入規制ではありません。職業に対する許可制では、おそらく「より制限的でない他の選びうる手段」(LRA)があるかどうか(あるいは厳格な合理性)が基準になるでしょうから、情報開示制度よりも許可制のほうが優れていることを立証できなくてはなりません。もっとも、ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンは、次のように述べています。

無知な一般市民には腕のいい職人を見抜けないと言うなら、必要なのは、誰が腕がいいのか情報を公開することではないか。そうした情報を与えられたうえでなお無資格者を利用するとしたら、それはその人の勝手である。「知らなかったからひどい目に遭った」とはもう言えない。このように、免許制を要求する理由は認定制で満たされるので、免許制を正当化する理由はもはや存在しないと思われる。

ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』(日経BP社、2008年)274頁

弁護士の方々の中には、司法制度改革に反対する人も多いです。しかし、現職の弁護士には、基本的に司法制度改革に反対するインセンティブがあることを忘れてはいけません。現職の弁護士にとっては限られたパイの配分が問題となっているので、このような規制緩和に反対することはある意味で当然です。この記事もそうですが、どのような意見を持つにせよ、常に批判的に読むことを忘れないでください。

最後の説明は蛇足ではありましたが、どのような過程をたどるにせよ、今後、日本の一般市民がよりよい法的サービスを享受できることを心から願っています。そして、法曹を志望している方がそのような社会のために貢献されることを心から応援したいと思います。

けっこうディープな話になりました。

それでは~

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)

 

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