緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

「法教育」を成功させるために

こんにちは~

先日は、「司法制度改革期における弁護士のあり方」についてお話ししました。そして、事後救済型社会への移行が問題となっていることも説明しました(下図)。弁護士の新たな活動領域として、特に注目していただきたいのが図の左下のサークルです。この「個別予防」の領域において、現在、急速に活動人口を拡大しているのが「企業内弁護士(インハウスロイヤー)」であることも説明しました。そして、今回も、個別予防の領域で活躍できる弁護士のあり方についてのお話です。それが、法教育分野なのです。

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◆「法教育」とは何か

「法教育」は、「企業内弁護士」と比べて、あまり聞きなれない言葉かもしれません。しかし、法教育の領域は確実に広がってきています。法務省では、「法教育」について、次のような定義をしています。

法教育とは,法律専門家ではない一般の人々が,法や司法制度,これらの基礎になっている価値を理解し,法的なものの考え方を身につけるための教育です。

法務省:法教育

さらに、法教育フォーラムでは、法務省の定義を踏まえつつ、次のように説明しています。

法や司法が身近な社会になってきた現在、将来の法を担う主権者である子どもたちへの新しい教育として、法的教養(legal literacy)を育成する法教育が注目され、人々がその教育を重視するようになってきました。特に裁判員制度の実施や個人間の法的紛争の公正な解決の必要性等の高まりもあって、今般の学習指導要領の改訂では、小・中・高等学校の社会科・公民科をはじめとする諸教科、道徳、特別活動等において、法教育の指導の充実が求められることになり、今後ますます教育関係者にはその重要性が認識されることになります。

法教育とは何か|法教育フォーラム

このほかに、日本弁護士連合会なども、法教育について取り組んでいるようです。法教育については様々な説明があるようですが、大まかにまとめれば、法教育とは、小中高の各教育課程における法的教養教育をいうと考えられます。

引用した文章からわかるように、法教育は、裁判員制度などが念頭に置かれていることからして、司法制度改革の影響を受けていることがわかります。法務省では、2003年から法教育研究会が発足するなどの動きが見られます。これが法教育のスタート地点です。そして、既にこのブログで説明しましたが、司法制度改革推進計画は、2002年に閣議決定されたのでした。日弁連も、2002年に会務執行方針に「市民のための法教育推進」を掲げています。したがって、「法教育」の計画は、司法制度改革にあわせて進行し、その活動領域を広げてきたと言うことができます。ここでは、法教育と司法制度改革の一体性を強調しておきたいと思います。

ただし、管轄する行政庁が主に法務省であることに注意してください。「法教育」は、司法制度改革の一環として把握されているからです。司法制度改革の管轄が法務省にあるので、法教育も法務省が管轄しています。文部科学省は、2003年の中央教育審議会の教育振興基本計画において、「学校における司法教育の充実を図り、すべての子どもに、自由で公正な社会の責任ある形成者としての資質を育てる」と言及していますが、本格的に法教育に加わったのは2005年の関係省庁連絡会議からではないかと思われます。このあたりについては、橋本康弘「「法教育」の現状と課題〔PDF〕に簡潔な説明があるので、それを参考にするとよいかもしれません。

以上のような事情から、「法教育」は、活動の全体像がつかみづらいのです。具体的な数値データがないことも相まって、なかなかややこしいことになっています。とりあえずここでは、法教育について、次のことを押さえておいてください。

  • 法教育と司法制度改革がほぼ一体であること
  • 管轄する行政庁が紛らわしいこと
  • 行政と民間(日弁連など)との連携があること

これらのことは、法教育を行う側にとって重要になってくると思われます。

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◆「法教育」の現状

1.法教育の目的

なかなか全体像をつかみにくい「法教育」領域ではありますが、その目的は、以上のような背景事情からある程度は絞り込むことができます。

司法制度改革が目指す事後救済型社会においては、事前の予防を弁護士が担うことになっていました。法教育は、その教育という性質から、事後救済型社会における法律に代わる事前予防策のひとつと考えることができます。したがって、一番はじめの図で言えば、法教育を「個別予防」の領域に位置付けることができるでしょう。そうすると、一般市民が法的紛争に巻き込まれないように予防することや、仮に巻き込まれたとしても適切に対処できるようにすることが、法教育の大きな目的だということがわかります。

ここで大切なことは、法律を学ばせることが法教育の目的であってはならないということです。法律というルールの知識を与えることではなく、原理・原則を学んでもらうことが目的のひとつでなくてはなりません(なお、後述しますが、原理・原則の知識を習得することが目的なのではありません)。そうでなければ、司法制度改革と真逆の方向へ行きついてしまうからです。

このようなプリンシプル・ベースの考え方は、アメリカに由来します。しかしながら、法教育も事後救済型社会も法科大学院構想もアメリカに由来しているとはいえ、日米では「法」に対する考え方といいますか、法の概念自体がまったく異なります。多少荒っぽい言い方にはなりますが、アメリカの「法(law)」は法律を意味しません。アメリカの法教育は「法律教育」ではないのです。英米法では、「法律」のことを code とか statute とか act と呼び、law とは呼びません。アメリカの手法を導入するのであれば、それが法教育であれ司法制度改革であれ、アメリカ法ないし日米比較法を正確に理解していることが必要となります。ここが、法教育導入の際の落とし穴となりえるでしょう(司法制度改革全般について言えることなのですが)。問題は、この落とし穴を回避できるかどうかです。現在、法科大学院がこの落とし穴の中にいることは疑う余地がありません。

2.法教育とアメリカ法

この記事は日米比較法を説明する記事ではないので、ここで日米の法概念の違いを解説するのは避けたいところですが、最低限の事柄は押さえておかなくてはなりません(法概念の違いについては、また別の記事で書こうと思います)。本格的にアメリカ法を勉強したければ、はじめに日本の法科大学院で教えている Rosen 先生の "An Introduction to American Law" (共著)を読むのがよいかと思われます。同書は、米ロースクールの外国学生用の導入テキスト(というか、ケースブック)ですから、日本のような大陸法と、アメリカ法との違いについての説明が充実しています。

まず、アメリカ法は、日本のような大陸法系制定法システムとは別世界であることを押さえてください。アメリカは判例法主手続法中心主義の国です。アメリカ法には、民法におけるような所有権概念もなければ、刑法におけるような保護法益概念もありません。実体法手続法の区別もなければ、公法私法の区別もありません。憲法レベルで言えば、日本と三権分立のタイプも異なります。ですから、「アメリカ法は日本法とちょっと違うのかな?」なんてレベルでなく世界観が異なるのです。まずは、その固定観念を取り払ってください。

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アメリカ法における「法(law)」とは、第一義的には判例です。さらに、この「判例」の意味も日本とはまったく異なります。日本の判例は、ざっくり言えば、最高裁の下した「規範(結論命題)」ですが、アメリカではそうではありません。law とは、当事者同士の対話当事者の属するコミュニティの評議による紛争解決事案、すなわち case なのです。この当事者同士の自由な対話(dialog)を原理とすることを「当事者主義(adversary system)」と呼び、共同体が判断することを「陪審制(jury system)」と呼びます。アメリカ法の特徴は、当事者主義と陪審制という2つの手続原理にあります。そして、当事者同士の対話(物騒な表現ですが、これを fair fight と呼んだりもします)のための訓練が、ソクラテック・メソッドです。これを law school すなわち「判例学校」で学ぶわけです。law school では law = case = 判例を学びますから、casebook が必要になります。この判例 = case には当事者の名前が付されています。裁判所の名前しか付されない日本の判例との違いはたいへん鮮明です。なお、法律 = code は、この当事者同士の対話に関する諸々の判断を「規制」するものです。それ自体は日本でいうところの「法規範」の意味は持ちません。

ここからが重要ですが、これを「法教育」という観点から理解した場合には、アメリカにおける法教育(Law-Related Education)は、当事者同士の対話による解決(つまり、ディベート)が中心だということなのです。ディベートやソクラテック・メソッドは、具体的な事実を抽象化して、原理・原則を見つけ出していく作業です。はじめに抽象的な法則を覚えて、使いこなせるようにさせる作業(→「基本書の使い方」参照)ではありません。トップダウンではなくボトムアップの作業なのです。このことについては、ほかの記事でも若干説明しました(「民事裁判と刑事裁判の構造的な違い」などを参照)

3.日本の法教育の現状と今後の方向性について

日本の法教育の現状については、現場を見せてもらうのが一番手っ取り早いと思いますが、そうもいかないという人もいるでしょう。そこで、法教育の現状を把握するにあたっては、法教育フォーラムの「法教育レポート」をご覧になるのがよろしいかと思います。

それでは、法教育レポートから、日本の法教育の具体的な内容をいくつかあげてみましょう。たとえば、「大村ゼミサマー・スクール2014 ―東大ロースクール生による民法講座」というレポートでは、中高生を対象とした「不法行為」という授業について掲載しています。概要は、次の通りです。

この授業では、民事・刑事・行政の違い、要件と効果、事実のあてはめといった基本事項を説明したあと、不法行為の要件である「過失」の概念に焦点を当てました。「過失」には、「主観的過失」と「客観的過失」の2つの考え方がありますが、そのどちらによるかによって責任の有無が分かれること、考え方の違いの背後には社会観の差があることが示されました。この先、さらに過失概念が変化することもありえ、法規範の内容は固定しているわけではない、というメッセージが伝えられました。

大村ゼミ サマー・スクール2014 ―東大ロースクール生による民法講座|法教育フォーラム

…ということだそうです。もうお気づきとは思いますが、これはダメなパターンです。これは法教育ではなく、法学入門と呼ぶべきでしょう。「法教育としては」完全に失敗です。逆に、これなんかはいいんじゃないかと思ったのが「2014年 千葉県弁護士会夏休みジュニアロースクール」のケースです。中学生に調停を体験してもらうセミナーです。法教育としては、職業体験(代理人という設定)にしなくてもよかったのではないかと思いますが、内容的にはいいと思います。そのほか、なかなかSF設定な事案のレポートとかもありますね…(ナニコレ)。総じて言えることですが、法教育としては、若干というか、かなりピントがずれている気がします。法教育の目的からすれば、専門的なことをやる必要はないはずなのです。文部科学省の指導要領に基づいた教育も、結局は知識の詰め込みに終わりそうな気がします。

本家アメリカの法教育(Law-Related Education, or LRE)を見てみましょう。2014年10月28日現在、Google で「law-related education」というキーワードで検索した結果、3番目のサイトにはこう書いてありました。

Law-related education achieves the following:

  • increases knowledge
  • develops analysis, critical thinking, and debate skills
  • reduces juvenile delinquency and violence
  • increases participation in school and extracurricular activities
  • inspires adult participation in community and civic activities
Civic & Law-Related Education | www.streetlaw.org

おそらく、「法教育」に取り組みたいと思っている方々や、現に法教育に取り組んでいる方々は、この文章を見て「ん?」と思ったはずです。しかし、アメリカ法の説明を思い出してください。要するに、アメリカにおいて「法」とは、当事者の対話(ディベート)による紛争解決のことなのだということを確認しました。 そう考えると、ごく当たり前のことが書いてあるにすぎません。法教育とは、利害関係の対立する相手方とのコミュニケーションに関する教育以外のなにものでもないのです。日本では、この点が、まったく理解されていません。

もう一度言いますが、これは Google 検索の3位のサイトに書いてある文章です。日本の法教育関係者は、Google 検索を使わなかったのでしょうか? 誰も英語で検索しようと思わなかったのでしょうか? 誤解しないでほしいところですが、新しい領域ですので、十分な資料がないことも承知していますし、試行錯誤中であることは理解できます。ただ、だからこそアメリカの制度を参考にしてほしいのです。法教育活動は、私も心から応援しています。保守傾向の強い司法の世界ですが、それにもかかわらず新しい領域を開拓しようとする法教育関係者の方々の努力を尊敬しています。ですから、法教育関係者の方々やこれから法教育とかかわろうと思っている方々には、ぜひ聞いてほしいのです。今の時代、インターネットでそれなりの情報を簡単に収集することができます。国境はありません。アメリカの導入例は参考になると思われますので、一度でいいですから、「law-related education」あたりのワードで検索をかけて調査してみてください。当事者同士の「コミュニケーション」という部分が欠落していては、法教育の意味がありません。日本の法教育は、この点を補う必要があります。コミュニケーション重視のアメリカの法教育活動は、きっと日本の法教育の発展に役に立つはずです。

これに対して、「アメリカの法教育の考え方は、日本の法教育の考え方と合わないのだ」と反論することもできなくはありません。ですが、それではいったいどうやって紛争を予防するのですか? 利害関係の対立する相手方とのコミュニケーション能力を鍛えずに、どうやってその相手方とのトラブルを避けようというのでしょうか? 今後、日本社会ではグローバリゼーションが進行し、多種多様な人種・民族・文化などの背景を持った人々と共生していくことになります。この意味で、アメリカを参考にすることは、それほど誤ったことだとは思えません。事後救済型社会において、一般市民の紛争予防策は、対立する利害関係を持つ相手方とのコミュニケーションです。多様なバックグラウンドを持った人々と共生するほど、必然的に利害衝突は増えるでしょう。この利害関係を調整するコミュニケーションの原理・原則を学ばせることこそが、法教育の中核でなければなりません。ただ、本当に別の道があるのならば、それでも構わないでしょう。要するに、紛争を予防できさえすればよいのです。

どのような道を辿るのであれ、今後、日本での法教育活動がうまく発展することを心より願っています。

それでは~

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