緋色の7年間

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刑法は何のためにあるのかクイズ

こんにちは~ 

本日のテーマは「刑法は何のためにあるのかクイズ」です。刑法の存在理由や刑罰論をまじめに考えると、どこまでも果てしなく深いので、今回は、現在の学説等の状況について考えるために簡単なクイズ形式にしてみました。3問だけです。全問正解を目指して頑張ってみてください~

◆問題

では、はじめましょう。次の文章は正しいか誤っているか答えてください。

  • 【問1】行刑法の目的のひとつは応報である。
  • 【問2】一般予防とは、刑罰による威嚇によって一般市民の犯罪行為を抑止することである。
  • 【問3】現在の刑法典の規定には、特別予防を趣旨とする規定は置かれていない。

◆解答と解説

答え:全部誤り

【問1の解説】 「目的」という部分が誤りです(先ほど、このブログの過去の記事を読み返しましたが、このブログでもけっこう間違えています…)。

行刑法の「目的」は応報ではありません。たしかに、「応報刑」は現行刑法の「本質」ではあるかもしれませんが、「目的」ではありません。現行刑法の目的は、あくまでも(原則としてですが)犯罪の一般予防に求められます(一般予防論)。

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刑法(刑罰)に「目的」を持たせる考え方を「目的刑」と呼びますが、ここに応報刑論は含まれません。応報刑論は、目的刑であり、目的を持たない刑罰論のことを言っているのです。応報刑論のことを、教科書などでは、「犯罪に対する反作用」とか「刑罰そのものが正義にかなう」とか説明したりしていますが、要するに、目的はよくわからないけれど犯罪に見合った刑罰を科すことが感覚的に正しいのだ、という点を根拠にしているのです(刑罰の自己目的的正当化)。「目には目を」的な同害報復を徹底する立場を「絶対的応報刑」と呼びますが、ご存じの通り、今日では誰も支持していません。日本の刑法は、あくまでも政策的な目的を持った法律だからです。そうでなければ、目的審査の段階で違憲・無効になります。また、実定法の議論を超越した哲学的議論ならばともかく、「加害者への報復」が現行法の下で目的として許容されているとも思われません。刑法は「公法」であり、被害者側の私的利益の回復を目的としていないからです。被害者の救済に関しては、民法709条以下の不法行為法が引き受けるところです。風俗犯や経済犯罪などのいわゆる「被害者なき犯罪」を考えれば、これらのことはより明らかになると思われます。

ややこしい用語に「相対的応報刑」というのがありますが、これは実は、応報刑論ではありません。なぜならば、刑法学上の相対的応報刑論は一般予防を目的とするものであり、したがって、一般予防を目的と考える以上は目的刑論に分類されるべきだからです。少なくとも刑法においては、「応報的な側面がある」という点を強調しているだけで、目的刑論の一種のはずです。「相対的」という言葉は、このような意味で用いられていることに注意が必要です。というのも、実際、刑法学説等に多大な混乱を引き起こしているからです。たとえば、「応報と一般予防を合わせて考えるのが現行刑法の立場である」というのは正しいですが、応報と一般予防とを概念として並列に置いて理解しているとすれば誤りです。非目的刑論が目的刑論と共存することは論理的にありえません。このような混乱は、哲学的議論にひきずられた結果だと思われるのです。一般予防と応報とは「目的・手段」の関係にあり、そう考えると、「応報的処罰を通じた一般予防」という言い方が適切でしょう。

教科書・基本書を読む際には、「応報刑論」という言葉が、目的刑論と対比させる意味で用いられているのか、犯罪に見合った害悪・非難・制裁・不利益などの実際上の性質に着目しているのか、それを気を付ける必要があると思われます。

【問2の解説】 「威嚇によって」という部分が誤りです。

「一般予防」というと、刑罰の威嚇効果による犯罪の抑止だ思われがちですが、必ずしもそうではありません。刑罰の感銘力による抑止という面もあるからです。刑罰による威嚇を犯罪予防の手段と考える立場を消極的一般予防論(威嚇的一般予防論と呼びますが、これに対して、一般市民の法規範への信頼を犯罪予防の手段と考える立場があります。これを積極的一般予防論(規範的一般予防論と呼びます。

消極的一般予防論の立場からすれば、犯罪を抑止するためにはより威嚇効果の高い死刑などの刑罰が使われるべきことになりますが、論理的には、たとえば窃盗罪に対して死刑を用いることにもなるはずで、こうなるとやはりどこかおかしいように思われます。どこがおかしいかというと、殺人などの凶悪な犯罪と窃盗を同じように扱ってしまっているからで、個人の平等な取扱いとは言い難いというところです。一律死刑はある意味で平等なのかもしれませんが、まったく異なる行為に対して同じ法律効果が与えられるとすれば、やはり不平等であるように思われます。これは殺人罪の中でも同じことが言えます。それなので、「応報を上限にした」威嚇というように、応報刑論を罪刑均衡原則としていわば「ストッパー」のように使うことが考えられるわけです(応報は行為に合わせた平等な威嚇の手段である、という意味で相対的応報刑論)。

これに対して、積極的一般予防論の立場は、犯罪抑止の手段として「法規範への信頼」を掲げ、刑罰は法規範に対する信頼を「確証」させるものだと理解します。「法規範への信頼」という言葉の具体的な内容には諸説ありますが、個人的には、規範違反行為の定量的・可視的な表示そのものだと思っています。規範違反行為を定量的に可視化させるためには、罪刑均衡原則が必然的に要求され、したがって応報的な要素が取り入れられることになります。犯罪すべてに死刑を科すという発想は、行為に対する規範違反の程度を定量的に示せない点で誤っていると考えるわけです(応報は規範違反の定量的告知の手段である、という意味で相対的応報刑論)。

【問3の解説】 「第四章 刑の執行猶予」という部分など、特別予防を趣旨とする規定があるので誤りです。

行刑法は、原則として犯罪の一般予防を目的とする相対的応報刑論に立っていますが、例外的に特別予防が考慮されています。これは、犯罪を行った人は(死刑を除いて)必ず社会復帰することに配慮し、安易にラベリングをしてしまうのを避けることで再犯を抑止するためです。間違ってほしくないのは、このような措置は被告人/受刑者のため(だけ)のものではなく、社会のためのものであるということです。少年法もそうですが、しばしば「加害者を守る」という趣旨の批判がなされますが、むしろ守られているのは社会のほうなのです。加害者が処罰されないことは一見すると問題に思えるかもしれませんが、安易に処罰してしまうことによって加害者が再び犯罪に手を染めるきっかけを作ってしまうことのほうが、社会にとってはよほど問題だと思われるのです。ですから、処罰すべきかどうか判断することに対して、どうしても慎重にならざるを得ません。

全問正解できましたか? 今回は、いわゆるジャスティス・モデルを中心に書きましたが、最近では、「修復的司法」の考え方が出てきました(一時期、学会で流行りましたが、現在では若干下火になっているでしょうか)。色々な考え方があるので、この意味では「正解」はないのかもしれません。

念のため、最後に書いておきますが、以上の話は、あくまでも現行刑法における学説の状況等について述べたものであって、カントやヘーゲルフーコーなどによる哲学的議論や用語法と必ずしも整合するものではありません。刑法学説の中には、この点について区別していないようなものも見受けられますが、実定法と無関係に議論をしてもあまり意味がありません。また、本記事は、立法論的な観点から刑罰論について論じようとするものではありません。以上の点をご了承ください。

それではまた~

 

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