緋色の7年間

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司法試験刑法採点実感まとめ(平成28年度版)刑法総論編

刑法総論における「事案分析」について、具体的に考えていきたいと思います。なお、これまでの採点実感を読む限りでは、各採点実感の間でも言ってることに矛盾があるように思われるので、あまり採点実感を神聖視・絶対視しないほうがよいでしょう。採点実感の記述を信じて書いたけれど点数がつかなかった、みたいなことが普通に起こります(そもそも年度によって採点の仕方が予告なく変わる試験ってどうなんですかね。あとからああだこうだ書かれても、この記事みたいにどうとでも言えますよ)

<目次>

  1. 行為論
  2. 不作為犯
  3. 因果関係論
  4. 故意犯
  5. 過失犯
  6. 正当防衛論
  7. 正犯と共犯
  8. その他

1 行為論:行為を分断しすぎ or 統合しすぎ

国家刑罰権の発生要件たる「犯罪」とは、構成要件に該当し違法かつ有責な行為をいうと定義されます。ここにいう刑法的評価の対象となる行為とは、意思に基づく、あるいは意思によって支配可能な社会的に意味のある態度をいいます(社会的行為論・消極的多数説)。原則として、この定義を答案で記述する必要はありませんが、「行為」の切り出し方によって以降の罪責検討の内容が大きく変わる場合には、これを記述する必要が出てきます。たとえば、量的過剰防衛の問題が生じる場合などです。

しかし、行為の統合と分断行為の特定の問題は、ほとんど経験の多さに依存するところが大きく、これといって効果的な対処方法はありません。最大の問題は「社会的な意味」という言葉が曖昧でどうしようもないことです。一応、行為の抜き出し方について記述した基本書もないことはないですが(高橋・総論71頁以下参照)、明確な基準が打ち出されているとは言い難いです。私からも、せいぜい、行為を選び出す際には、行為者の意思・目的の一貫性被侵害法益の内容の同一性に着目してくださいとしか言うことはできません。実際のところ、行為態様だけでは判断が困難なのです。また、行為論と罪数論との関係も、いまだ深い闇に包まれており、受験生的にはこの領域に深く突っ込まないほうが賢明です。

旧司法試験では以上のような闇の深い問題が出題されたこともありますが、現行司法試験では、罪責検討に入る際の素朴な感覚(法律家としてのセンス)からして疑問があるとする旨の指摘がほぼすべてです。具体的には、次のような指摘がなされています。

行為を分断しすぎのパターンとしては、以下のような指摘がされています。

「甲の行為を余りに分断的で細切れにとらえ,刑法的評価の前提となる甲の行為を的確に把握できていない答案」「甲のA方内での行動について,甲がカッターナイフの刃をBの目の前に突き出した行為は脅迫罪,甲がBに「静かにしろ。」等と言った行為は強要罪,甲がリビングボードに近づいた行為は,新たな別個の強盗(未遂)罪のように,事実のとらえ方が不適切な答案」(H20・16頁)

「同一の被害について,特段の問題意識を持たないまま複数の財産犯の成立を認める答案。例えば,80万円の送金行為につき,背任罪,横領罪,電子計算機使用詐欺罪のすべてが成立するとするもの。」(H21・19頁)

「記述の濃淡の付け方が必ずしも適当でない答案も見受けられ,刑事責任が実際上問題とならないようなささいな点を取り上げて延々と論述するものも少なからずあった。」(H23・25頁)

これとは逆に、行為を統合しすぎというパターンもあります。

「第1場面から第3場面に至る甲の行為が全体として1個と評価されるか否かについて,それを論ずる実益も明らかにしないまま,検討している答案」(H23・25-26頁)

おそらく、判例の読み込みで行為の切り出し方を学ぶしかありません。量をこなすしかないパターンですね…

2 不作為犯

不作為犯では、①不作為の特定と、②作為義務(保障義務)の認定が書けていないものとして指摘されています。

(1) 不作為の特定

不作為とは、何もしないことではなく、期待された作為をしないことをいいますから(井田・総論138頁参照)、答案で不作為を摘示する場合には、たとえば、「甲はAを置いて立ち去っているが、~すべきであったのに~しなかったとして、不作為の〇〇罪が成立しないか」などと期待される具体的な作為を明示して記述します(H22・20頁)。置き去りにした行為自体は「作為」であり、「不作為」ではありませんので、「甲はAを置いて立ち去っているが、この行為に〇〇罪が成立しないか」などと書き出して不作為犯を論じるのは誤りです。なお、かつて一部の学説・裁判例で論じられた「作為と不作為の区別」の問題は、不作為の定義の誤りに起因する問題ですので、上述した不作為の定義を採用する限り、現在では答案で書かなくて大丈夫です。行為の明示だけをきっちり行ってください(H26・34頁参照)

生命に関する法益の罪が問題となるケースでは、「嘘をつく」「その場を立ち去る」「隠す」「移動させる」「救命行為とは言えない作為を続ける」など、当該作為だけを切り取って観察すると一般的には被害者の生命に直接的な危険性がないと考えられるような事情があれば、不作為犯を検討するほうがよいでしょう。裏を返せば、作為犯として検討するのは、「ナイフで刺す」「鉄パイプで殴る」「拳銃で発砲する」「車で引きずる」など、当該作為自体に生命に対する危険性があると考えられる場合です。実務上は、先行行為単体で重い犯罪が成立しない場合、あるいは、先行行為につき重い犯罪の立証が何らかの事情で困難である場合に、後続の行動を含めて重い犯罪の不作為犯として構成することが多いと思われます。

「甲の母親から電話で訪問したいと言われたが,嘘をついて断った点につき,作為による殺人罪の単独正犯としての実行行為と認定するか,作為による殺人罪の幇助行為と認定するか,見て見ぬふりの不作為犯を犯している間の一事情と認定するかはともかく,その成立要件に事実関係を的確に当てはめて結論に至ることが求められる。」(H26・33頁)

(2) 作為義務の認定

犯罪構成要件の明確性の原則憲法31条参照)の要請から、不作為犯独自の要件として作為義務保障人的地位保証者的地位が要求されます。その発生根拠は、法令、契約、慣習・条理(先行行為・引受行為)、排他的支配、危険共同体など多元的に考えられます(多元説・消極的通説)。いわゆる不真正不作為犯の問題は、この「作為義務」という規範的要件の判断において、様々な事情を拾って詳細かつ適切に評価できるかどうかが重要です(H22・20頁)。また、その際、上述した期待される具体的な作為との関係性時間的な要素に十分に気を付けましょう。判例が作為義務を肯定する類型は、【①】先行行為(自己の責めに帰すべき事由による具体的危険性創出)+排他的支配(最決平成17年7月4日刑集59巻6号403頁〔シャクティ事件〕参照)【②】法令・条理上の義務+排他的依存(乳幼児虐待等に関する下級審裁判例参照)の2類型ですが、あくまでも「類型」ですから、これらは目安程度にとどめておくべきでしょう。具体的な事案に即した検討のほうが、ずっと大切です。

採点実感で指摘されている点をまとめると以下の通りで、これをチェックポイントに流用すればよいでしょう(多少、内容が重複しているのは気にしないでください。これは原文のニュアンスを重視したことによります)。

  • 第一次的な看護義務は誰にあるのか(被害者が患者→病院側)(H22・20頁)
  • 作為義務、救命可能性及び故意について、それぞれの時間的先後関係を意識して検討(H22・20頁)
  • どの時点まで救命可能性があったのかが重要(H22・21頁)
  • 既に救命可能性が失われた時点で作為義務や故意を認めるのはアウト(H22・21頁)
  • 「被害者の妻→民法上の扶助義務」のみを指摘するのでは不十分(H22・21頁)

3 因果関係論

採点実感で指摘されているのは、①因果関係論の具体的な適用方法のミス、②不作為犯の因果関係の特殊性、③過失行為の後の故意行為の介在の認定・検討の3点です(H22・21頁、H26・34頁)。このうち、③は注意するだけで解決しますから、チェックポイントに入れておくだけで対策できるでしょう。以下では、①・②について検討します。

(1) 「危険の現実化」の基準

通説・判例の立場によれば、因果関係の問題は客観的帰責の問題であることから、実行行為の危険性が結果へと現実化した場合には、因果関係が認められます(危険の現実化説。「危険の現実化の法理」とはほぼ呼ばない)。学説によっては、判例の考慮要素として、①実行行為の危険性、②介在事情の異常性、③介在事情の結果への寄与度の3つを提示する見解(前田・総論139頁以下。ただし、考慮方法に縛りがあるので要注意)や、判例直接型間接型(誘発類型)に類型化してそれぞれの類型で判断方法を区別しようとする見解などがあります。もっとも、いずれの考え方を採用するにせよ、あくまでも基準は「実行行為の具体的危険」の「結果への実現」ですから、これら2つの内容を具体的に特定することが大前提です。採点実感では「当てはめにおいて、危険と結果のいずれについても具体的に捉えていない」(H26・34頁)との指摘があります。

この指摘の前提となっている事案は、簡単に言えば、「甲の実行行為によってAが脱水症状や体力消耗により死亡する現実的危険が生じた後,乙の故意によるAを連れ去る行為やタクシーの運転手の過失による事故という事情が介在してAが脳挫傷により死亡した」(H26・33頁。強調引用者)というケースです。つまり、殺人罪傷害致死罪などにおける「危険の現実化」の判断は、「行為の危険性」と「発生した結果」の死因の同一性が基準なので(井田・総論132頁)、この事案で「脱水症状や体力消耗により死亡する現実的危険性」が「脳挫傷で死亡するという結果」に現実化することは(抽象的に考える限りでは)ありえないわけです。この事案で、因果関係を肯定するのであれば、行為の危険性や結果発生の過程について、もっと具体的に検討することが必要ということです。

(2) 不作為犯の因果関係

不作為犯の因果関係を特別視する発想(H22・21頁参照)は、不作為犯における条件関係について条件公式をそのままあてはめられないという問題意識から生じています。しかしながら、近時の「危険の現実化」の判断においては条件関係自体を独自に問題とする必要がありませんから(山口・総論60頁以下参照)、「危険の現実化」の基準登場以前の判例(最決平成元年12月15日刑集43巻13号879頁〔覚せい剤注射事件〕)については、「結果回避可能性(通説)の限度で、ひとこと触れるだけでよいでしょう。要するに、条件関係の判断は、危険の現実化の判断に吸収されるわけです(なお、判例の立場や山口先生の見解ではなく相当因果関係説を採用する場合には条件関係の判断が必要です)。答案上の記述としては、「救助行為があれば救命が可能であったのだから、(結果防止につき、合理的な疑いを超える程度に確実であったと認められ、)因果関係を肯定できる」などと書くということになります。括弧内は刑事手続における一般論を確認した判例の表現であって、本来、刑事実体法上は不要な記述なのですが、多くの刑法学説が混乱して言及しているので、とりあえず書いておけば安心かもしれません。なお、後述するように、過失犯の結果回避可能性については、不作為の因果関係と同じように因果関係論のところで論じることになります。

4 故意犯

(1) 故意の体系的地位

平成27年の試験では、構成要件該当事実の認識と誤想防衛/誤想自救行為の処理との理論的整理が問題とされました。論述の方法としては、【①】構成要件段階で構成要件該当事実の認識(構成要件的故意)を検討した後、違法性阻却事由を検討し、責任段階で違法性阻却事由該当事実の不存在の認識(責任故意)を論じるパターン(伝統的通説)【②】構成要件と違法性阻却事由の検討後に「構成要件的故意」または「責任形式としての故意」として一括して論じるパターン(有力説)の2つがあります。

後者のうち「構成要件的故意」で一括して考えるパターンには、さらに2つのパターンがあり、【②-A1】ひとつは違法性阻却事由の不存在を消極的な意味での特殊の構成要件要素と捉え、それに該当する事実の認識も構成要件的故意の内容として要求する立場(消極的構成要件要素の理論。広島高昭和35年6月9日高刑集13巻5号399頁参照)と、【②-A2】もうひとつは責任構成要件を観念し、違法構成要件とセパレートして違法性阻却事由の後ろに責任構成要件を接続する立場(結果無価値論1)とがあります。【②-B】他方、「責任形式としての故意」で考えてゆく立場(結果無価値論2)は、故意を構成要件要素として把握しませんが、故意の内容につき違法な事実(違法性を基礎づける事実)の認識だと理解する点では変わりがありませんので、実質的には【②-A】と同じ処理手続になります。自らの見解と整合する考え方を採用すればよいでしょう。おそらくは検討順序論理的整合性で点が付きます。

(2) 抽象的事実の錯誤

故意とは構成要件該当事実の認識をいい、構成要件は条文の解釈によって導かれるものであることから、「客観的に実現された構成要件(該当事実)」と「行為者が認識した構成要件(該当事実)」との実質的な重なり合いの限度で軽いほうの犯罪が成立します(最決昭和54年3月27日刑集33巻2号140頁)。両構成要件の実質的な重なり合いを判断するにあたっては、保護法益の共通性および行為態様の共通性を基準にします(通説)。なお、この基準に「実質的な」という表現を入れるのは、麻薬取締法違反と覚せい剤取締法違反(念のため指摘するが、「覚剤取締法違反」ではない)のように、形式的には構成要件が重なり合わない場合を含めようとするからです(要するにレトリック)

平成27年の試験で問題となったのは、(業務上)横領罪と窃盗罪の重なり合いです。判例の立場においては、横領罪の保護法益は「所有権」ですが、窃盗罪の保護法益は「事実上の占有(物の所持自体)」ですから、保護法益の共通性がないとも思われます。もっとも、窃盗罪において事実上の占有を保護するのは究極的には所有権の保護に求められます(もちろんレトリックです)ので、保護法益の共通性は肯定してよいでしょう。しかし、行為態様の共通性については、構成要件の抽象度に対する理解の仕方にもよりますが、具体的な事案に依存するので、一般論では何とも言えません。ケース・バイ・ケースで判断するしかないでしょう。ただ、前掲判例は、「行為態様」につき、「取締の方式」という法文上の行為規制態様の次元で考えているようですので、具体的な事案から離れて抽象的に文言を比較して判断するほうがよいかもしれません。なお、刑法典上の財産犯の重なり合いについては、学説ではかなり広範囲で認めるようですが、刑事系の実務家に訊くとほぼ否定的な回答ですので、まだ議論が煮詰まっていないというか、学説と実務との間に認識のギャップがあるようなかんじがします。

5 過失犯

過失の内容につき、判例の立場からは、当該集団に属する人物モデルを標準とした「具体的予見可能性に基づく結果回避義務の違反」を認定すれば足り、予見義務には触れなくても構いません(新過失論)。答案では、「~によって~の発生が具体的に予見されたのであるから、~という措置をとるべきであった。そうであるにもかかわらず、あえて~しなかったのであるから、具体的予見可能性に基づく結果回避義務の違反があり、過失が認められる。」などと行為者が具体的に何をすべきだったのかを明示して記述することになります(H22・21頁参照)。そうでなければ、刑法の目的である犯罪の一般予防が達成できないからです。また、近時の判例最判平成15年1月24日判時1806号157頁〔第2の黄色点滅信号事件〕)において、結果回避可能性は因果関係の問題に解消されており、答案上では前述した不作為犯の因果関係と同じ論述になります。

判例の理解については対立の激しいところであり、学説が錯そうしていますから混乱しがちです。そこで、一応、上のように理解できる理由を説明しておきます。

新過失論の立場からは、結果回避義務の違反(行為規範違反)を過失犯の本質と考えますが、結果回避義務が課されるためには結果の発生についての予見可能性がなければならないことになります予見可能性の結果回避義務関連性。これをスライディングスケールで考えるのが危惧感説/新・新過失論で、具体的予見可能性に固定して考えるのが新過失論です)。というのも、予見できないものを防ごうとすることは不可能で、そうであるにもかかわらず行為者に結果の回避を義務付けることは犯罪の一般予防にとって無意味だからです。このような論理からすると、義務づけられるのは予見ではなく結果の回避であり(というより、実質的には予見可能性を予見義務と言い換えているだけであり)、また、結果回避可能性は因果関係の問題に解消されると考えると、過失の内容としては「予見可能性に基づく結果回避義務の違反」を考えれば足りることになります。

ダメ答案として次のようなものが列挙されています(H22・21頁)

  • 過失犯の基本的な理論(予見可能性・予見義務、結果回避可能性・結果回避義務を内容とする注意義務違反など)について全く言及していない答案
  • 行為者がそれぞれが担当する職務に応じて負担する注意義務の内容を具体的に特定していない答案
  • 注意義務違反の当てはめにおいて、予見可能性や結果回避可能性等に関係する具体的事情をほとんど拾っていない答案

6 正当防衛論

採点実感で特に多く指摘されているのは、防衛行為の「相当性」の要件です。ほかには、防衛の意思と攻撃の意思の併存(H23・26頁)や自招侵害(H23・25頁)、量的過剰(H23・26頁)あたりが抜け落ちやすいポイントのようです。

(1) 自招侵害

自招侵害の問題については、近時の判例(最決平成20年5月20日刑集62巻6号1786頁)を踏まえて、自招侵害の場合に正当防衛を認めることは正当防衛権の濫用であって妥当ではないとの価値判断を根拠に、①違法行為によって侵害を招致していること、②侵害が違法な招致行為の程度を大きく超えるものでないこと、③侵害が違法な招致行為と場所的・時間的に接着した一連・一体のものといえることの3つを要件として、侵害の予期がなくとも「正当防衛状況」、すなわち「急迫不正の侵害」が否定されると考える見解が有力であるようです(佐伯・総論157頁等参照。なお、井田・講義277頁、288頁も参照)

(2) 防衛の意思と攻撃の意思の併存

刑法36条1項の「防衛するため」という文言から、正当防衛の成立には「防衛の意思」が必要となります最判昭和46年11月16日刑集25巻8号996頁等)。そして、防衛の意思とは、防衛行為の時点における、「急迫不正の侵害を避けようとする単純な心理状態」だとか、「正当防衛状況に該当する事実の認識」だとかいわれます。判例によれば、もっぱら攻撃の意思で反撃するような場合でなければ、防衛の意思は否定されません最判昭和50年11月28日刑集29巻10号983頁等)

(3) 防衛行為の相当性

やむを得ずにした行為」(防衛行為の相当性)とは、急迫不正の侵害に対する反撃行為が、行為時において自己または他人の権利を防衛する手段として必要最小限度のものであることをいい、その反撃行為により生じた結果が偶然侵害されようとした法益より大きくとも構いません最判昭和44年12月4日刑集23巻12号1573頁)。反撃対象となる侵害行為の具体的な特定が求められるほか、相当性判断の基準時が行為時であることに注意を要します。また、より軽い代替的手段(反撃せずに逃げる余地など)の有無・可能性についての検討も必要です(H23・26頁参照)。答案上の表現としては、「~という侵害に対しては、~という点でBという手段をとることは困難だったと考えられるため、これを避けるにはAという手段をとるほかなかったものと認められる。そうであれば、行為時において、当該行為は、防衛の手段として必要最小限のものであったといえる。」などと記述することになります。

なお、正当防衛全般については、次のような点に注意を要します。

  • 〔侵害の継続性〕侵害者がナイフを取り落としたとはいえ、その後も侵害者が攻撃の気勢を示し続けているにもかかわらず、直ちに急迫性が失われたとしてしまうのは好ましくない(H23・25頁)
  • 〔同一事実の重複評価〕同じ事実が「相当性」判断ではいかなる意味を持つのかについても明らかにすること(H23・25頁)

(4) 量的過剰防衛

一般的に、上述の「防衛行為の相当性を欠いた場合」には、過剰防衛となって刑が減免される余地が生じます(刑法36条2項)。このような一般的な場合を、「質的過剰」と呼びます。これに対して、正当防衛行為の範囲を超えて追撃する場合を「量的過剰」と呼びます。

ここでの問題は、追撃部分のみを取り出せば「急迫不正の侵害」自体が認められないため、防衛行為の相当性以前の段階で正当防衛の成立が否定されてしまうことから、刑法36条2項の適用が観念しえないということです。そこで、追撃部分が独立した暴行行為となるかどうかが、事案の処理を分けます。質的過剰が防衛行為の相当性の要件の問題であるのに対して、量的過剰の問題は、あたかも過剰防衛の問題であるかのような表現であるにもかかわらず、過剰防衛の問題ではありません。量的過剰の問題は、問題意識が過剰防衛の成否に置かれているというだけで、要件論は過剰防衛とは関係がないのです。この点に、ご留意いただきたいと思います。

判例は、防衛の意思の一貫性を基準に、原則として、各暴行行為を一連・一体の1個の行為と捉えますから、刑法36条2項が適用ないし準用され、一連の行為に1個の過剰防衛が成立することになります(最決平成21年2月24日刑集63巻2号1頁等、仲道祐樹『行為概念の再定位』(成文堂、2013年)234頁以下参照)。ここでいう「防衛の意思」は、前述した刑法36条1項の「防衛のために」という文言から要求される防衛の意思とは異なり、行為性に由来する行為意思の内容の同一性を意味します(仲道・前掲235頁参照)。なお、侵害の継続性時間的・場所的接着性などの客観的要素は、防衛の意思の一貫性を判断するための間接事実となります。したがって、問題文で行為者の主観につき主要事実が確定している場合には、これらの事実を引用してはいけません。もっとも、学説によっては、これらを独立の要件とする場合もあります。ちなみに、例外的に行為を分断する場合(最決平成20年6月25日刑集62巻6号1859頁)については、壮絶に難しいのでここではとりあげません(詳しくは、仲道・前掲書参照)

(5) 自救行為との関係

自力救済禁止の原則から、自救行為として違法性の阻却最決昭和46年7月30日刑集25巻5号756頁)が認められるのは、それが社会通念に照らし当然宥恕(ゆうじょ)されるべきものと認められるような例外的な場合に限られます佐世保簡判昭和36年5月15日下刑集3巻5・6号493頁)。換言すれば、社会通念に照らして当然受忍すべき限度を超えるかどうかが基準です。最高裁判例の傍論で緊急性の要件に言及されたこともなくはないですが最判昭和24年5月18日刑集3巻6号772頁)、裁判実務では、緊急性の要件を外した下級審のこの基準で運用されているみたいです。この場合、緊急性は一考慮要素の地位に落ちます。とはいえ、自救行為の要件は、正当防衛の要件よりもなお厳格に解されていますので、正当防衛のあとに自救行為を検討してはいけません(H27参照)

7 正犯と共犯

(1) 共謀要件と共謀の射程

共同正犯(刑法60条)が成立するためには、①共謀、②共謀に基づく実行行為が必要です。答案では、はじめに「第1 共謀」の項目を立てて共謀の内容を論じてから、各行為を検討すると論じやすいことが多いです。ただし、答案構成の過程では、事案分析の対象は、あくまでも各行為者の実行行為が中心であって、共謀の事実に引きずられてはいけません。

また、共謀の内容については「甲と乙は、窃盗罪(235条)と住居侵入罪(130条前段)の共謀をした。」といったように具体的に「罪名」や「適用条文」を示す必要はありません。従来の実務では、「共謀」とは、「自己の犯罪を行う意思に基づく特定の犯罪の共同遂行の合意」であるとされてきました。が、同要件は、現在では、(a)「自己の犯罪を行う意思(正犯意思)、(b)「特定の犯罪の認識(故意)、(c)「共同遂行の合意(意思連絡)の3つの要件に解体されたことから、答案の書き方に影響してきます。私個人は、【①】(c)→(a)→各実行行為→各(b) の流れか、あるいは、(a) を「重要な役割」の要件に置き換えて【②】(c)→各実行行為→各(b)→各(a) の流れでよいのではないかと思います。これまでどおり【③】(a, b, c)→各実行行為の流れでも構いませんが、この立場によれば、次に述べる共謀の射程の問題が消滅することになります(汲み取れないというべきでしょうか)。

共謀の射程の問題(H23・25頁参照)は、共謀と各行為との間の法的因果関係(事実的因果関係ではない)を検討するだけで、そこまで深く論じる必要はありません。当該実行行為が共謀対象行為に社会通念上当然随伴するものである場合には、当該実行行為は、「当該共謀に基づく」ものと認められます(名古屋高判昭和59年9月11日判時1152号178頁参照)。また、共謀の射程は、一応、客観面の話のような体裁になっていますから、錯誤論または部分的犯罪共同説の話は、共謀の射程を論じたあとに記述することになります。この点では、平成24年の採点実感は誤りではないかと思われます(H24・25参照)

(2) 正犯と狭義の共犯との区別

教唆犯や幇助犯など、狭義の共犯の成立を肯定する場合には、必ずその前に正犯性の検討が必要です(H26・27頁、H27参照。なお、明らかに正犯性が認められない場合には、一言触れる程度でよいと思われます)単独正犯が問題となるケースでは、判例の区別の基準は「他人を自己の犯罪実現のための道具として利用したといえる場合」にあたるかどうかです(最決平成9年10月30日刑集51巻9号816頁〔コントロールド・デリバリー事件〕)。これは、1個の規範的要件であり、主観的要素も客観的要素も含みます。

これに対して、共同正犯が問題となるケースでは、判例の区別の基準は必ずしも明確ではありませんが、共謀の内容を構成する「自己の犯罪を行う意思」(正犯意思)があるかどうかが基準となっているものと思われます(主観的謀議説+主観説)。具体的には、①共謀者と実行行為者との関係、②犯行の動機、③共謀者と実行行為者間の意思疎通行為の経過・態様・積極性、④担当・役割の内容、⑤犯行前後の徴表行為、⑥犯罪の性質・内容等を総合考慮して判断します。なお、実体法の話ではありませんが、実務上、検察官が起訴するかどうかの基準は、②の犯行の動機が決定的だとされているみたいです。採点実感では、自ら発案し、自身も利益を取得していることなどを認定しながら、得られた利益が共犯者と比較して少ないことだけを理由に共同正犯ではなく教唆犯の成立を認めるのは好ましくない旨が指摘されています(H24・25頁)

(3) 承継的共犯(H28)

共犯の処罰根拠は正犯を介して因果的に結果を惹起したことに求められることからすると(因果的共犯論/惹起説)、共犯関係の成立時以前の行為・結果について当該共犯行為との因果関係を有することはなく、ゆえに共犯関係成立時以降の行為・結果についてのみ共犯が成立する余地があります。平成24年判例の射程は傷害罪の共同正犯までですが(最決平成24年11月6日刑集66巻11号1281頁参照)、詐欺罪であろうと強盗罪であろうと先行する錯誤状態や反抗抑圧状態の作出について共犯行為と遡って因果関係を有することはありえないことから、承継的共犯は基本的に否定されるものと考えるのが論理的な帰結でしょう(否定説)。この場合、せいぜい一罪の一部に対する幇助犯を認めるのが限度ではないかと思われます。

(4) 予備罪の共同正犯(H28)

予備罪の共同正犯を認める実益は、自ら実行の目的を持たない者の処罰を可能とすることにあります。このような考え方における問題点は、簡単に言えば、予備罪という拡張規定をさらに共同正犯という形で拡張できるのか、というところです。

予備罪もいわば「修正された構成要件」であってその実行行為(構成要件該当行為)を観念できるほか、実質的に見ても予備罪は重い犯罪類型であることから(井田・総論473頁以下参照)、予備罪の共同正犯も成立しうるものと考えられます(最決昭和37年11月8日刑集16巻11号1522頁参照)

(5) 共犯関係からの離脱(H28)

共犯の処罰根拠は正犯を介して因果的に結果を惹起したことに求められることから(因果的共犯論/惹起説)、共犯者が当該共犯行為による因果的影響を遮断したと認められる場合には、共犯関係から離脱し、共犯関係が解消されたと考えられます。共同正犯の場合において、ここにいう因果性は意思連絡関係を起点とする心理的因果性ですので、具体的には、実行の着手前においては、①離脱の意思表示、②他の共犯者の離脱に対する了承、③共犯関係の形成に対する寄与の程度に応じた遮断措置があれば、離脱が認められます。着手後については、③要件が「実行継続の危険性をいったん完全に消滅させること」まで厳格化します。なお、「心理的因果性及び物理的因果性の遮断」であるとの見解もありますが、そもそも意思連絡要件(共謀=意思連絡=心理的因果性)からどうやって物理的因果性にシームレスに接続するのかという理論的な問題がありますし、物理的因果性(事実的因果関係)を認めるとどこまでも果てしなく広がるという因果関係論で出てくるおなじみの実際上の問題もあるので、心理的因果性判断の一考慮要素に落として具体的に検討するほうが答案作成上も賢明ではないかと思われます(個人的には判断基底論の応用でいけると思うのですが、誰も主張してないっていう哀しさ)

また、既に実行に着手した場合や、いまだ実行に着手していないが予備行為を行っている場合には、共犯関係の解消(離脱)に続いて中止犯の検討に移行します。中止犯は実行の着手を前提とするところ、判例は実行の着手がないとの形式的な理由で予備罪の中止を認めていませんが最大判昭和29年1月20日刑集8巻1号41頁)、学説は着手してから中止した場合の処断刑との均衡から判例の見解には否定的です。

(6) 共犯と身分

刑法65条は、1項が連帯的な規定、2項が個別的な規定となっており、要するに両規定が矛盾・抵触するのではないかというのが「共犯と身分」の問題です(H24・25頁)

犯罪の成立と科刑の分離は不自然であり、また、刑法65条の文言を重視するほうが基準としては明確であることから、判例の立場においては、1項真正身分犯2項不真正身分犯切り分けられて適用されます(つまり法律要件が重なり合う場面がないはずなので、法律効果の矛盾・抵触は生じません。結局は重なるんですけど)。このような切り分けの例外としては、業務上横領罪の身分者と非身分者との共犯の場合があります。前述の立場から論理的に考えると、1項が適用されて業務上横領罪の共犯となるはずです。もっとも、単純横領罪の身分者が共犯となる場合(2項が適用されて単純横領罪の共犯となる)との均衡を考えると、1項の適用の上でさらに2項を適用し、業務上横領罪の共犯の成立を肯定しつつ単純横領罪の共犯の科刑とするというパラドキシカルな帰結を導くほかありません。なお、共同正犯も「共犯」の章に規定されていますから、共同正犯についても65条の適用があります(※ドイツでは共犯規定ではなく正犯規定に含まれているので、法解釈論としてなのか立法論としてなのか不明ですが、必ずしも当然ではないと考える見解があるようです)

(7) 「狭義の共犯」の因果性

共犯の処罰根拠は正犯を介して因果的に結果を惹起したことに求められることから(因果的共犯論/惹起説)、幇助の因果性および結果が認められるためには、幇助行為によって、正犯者の実行行為を物理的または心理的に容易にすれば足ります(東京高判平成2年2月21日判タ733号232頁〔板橋宝石商殺害事件〕参照)。教唆行為の場合には、被教唆者に対して特定の犯罪の実行を決意させることが必要となります(通説)

(8) 「狭義の共犯」の故意

また、このほかに、「幇助犯が成立するとしているものの,幇助の故意の内容が不正確」(H26・35頁)という指摘がありますが、これは、実はけっこう深くて難しいです。共犯の処罰根拠は正犯を介して因果的に結果を惹起したことに求められますから(因果的共犯論・惹起説)、狭義の共犯においては、正犯が最終的に結果を惹起していることが必須の要件となります(従属性)。そうすると、狭義の共犯はこのことまで認識していなければならないことになるのです。狭義の共犯における故意は、正犯の構成要件該当行為の認識では足りず、正犯に対する犯罪行為の促進及び正犯による既遂結果の惹起の認識まで必要ということになります(山口・総論319頁等参照)

8 その他

ちなみに、こんなミスもけっこうあるみたいです。

法律用語の使い方の問題として,丙が最終的に不可罰であることについて,「無罪」と表現する答案が少なからず見受けられた。「無罪」は公訴提起された事件について判決で言い渡されるものであり(刑事訴訟法第336条),刑事訴訟法の正確な理解が求められる。(H23・26頁)

端的に、「したがって、甲の行為には、犯罪は成立しない。」とか「よって、甲は、何らの罪責も負わない。」などと書けばよいでしょう。あくまでも実体法上の問題として考える必要があります。司法試験の問題は、必ずしも検察官によって公訴提起がなされたり、裁判官によって判決がなされたりすることが前提とされていません。

総論編は以上です(たぶんもう少し修正・追記・参照文献追加します)。

次回は、各論編に移ります。

それではまた~

▼財産犯編

▼財産犯以外編

 

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