緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

具体的な事案の想像って難しいよね

はじめてミディエイターをやってみて心が折れそうになっている今日のこの頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか?

人間の感情というのはたいへん厄介なもので、自分が合理的に考えてこれがよいと思っても当事者からすると望んでいないということが多々あります。当事者の気持ちになってみるって本当に大切だなぁと思います。私にとっての契約論の「師匠」というんでしょうか、その方は「契約書をドラフトするときは当事者がどのように行動するのかをどこまで具体的に想像できるかが重要だ」とおっしゃっていました。今でも私の考え方の基本になっています(なお、この時の経験は、後に特許ライセンス契約を扱う際に生かすことができました。たぶん)。

ところで、なぜかよくわからないのですが、刑法の問題になると、そういった具体的な事案の想像ができない人たちが目立ちます(というか絡まれます)。いえ、理論面「も」大切ですよ? しかしどう考えてもあんた具体的な事案のことなんて考えてないだろうみたいな方々がいるわけです。

実のところ、この業界では法解釈をする気ゼロな人たちが実務家にも学者にも学生にもわりとたくさんいまして、この種の人たちは他人の法解釈のコピペしかしてこなかったので「それはどの書籍の何ページに載ってるの?」「それは誰先生の見解なの?」という表現を用います。必ず用います。絶対に訊いてきます(載ってないとしたらどうなの? 言ってる人で対応変えるの?)

この現象には逆パターンもありまして、誰々先生の学説(そんなん知るか)を持ち出してきたり、ドイツの学説を持ち出してきたり、アメリカの判例を持ち出してきたりすることもあります(一生輸入・翻訳してれば)。「優秀」になるほど文献通りにペラペラしゃべります。もちろん、学説や外国法を参考にすること自体はけっこうですし、場合によってはたいへん有益なのですが、なんでそれが持ち出されたのか理解困難であるケースがほとんどです。

要するに、文字で覚えて文字で考えてそれをしゃべっているにすぎないのです。具体的な事案なんか想像していないわけです。こういうのを「机上の空論」といいます。この机上論に自己顕示欲という動機が加わった結果が上の現象なのです。いったい誰のための意見・議論なのでしょうか? 本当に具体的な当事者のために意見・議論していますか? どうでもいい言葉遊びになっていませんか?

特に刑法ではこういった事態に陥りがちなので、次のような問いかけが必須です。

その要件・概念で想定され、または除外される具体的事実は何? それを証明するための証拠方法は何? そうやって概念を切りわける理由は何? その要件で誰のどういう利益を保護しようとしているの?

これでだいぶ<現実界>に引き戻すことができます。

 

それでは良い年末を~(なお、採点実感のまとめは修正悩み中)

 

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