緋色の7年間

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井田良 講義刑法学・総論

今回、ご紹介するのは、井田先生が出している『講義刑法学・総論』(有斐閣、2008年)です。個人的には、とても好きな本です。

講義刑法学・総論

講義刑法学・総論

 

◆位置づけ

  • 分量:中~多(590頁)
  • カバー:ハード
  • 体系:行為無価値論

◆特徴

現代的な行為無価値論の立場です。というより、井田先生から現代の行為無価値論がはじまりました。では、どのあたりが「現代的」なのでしょうか。

従来の行為無価値論では、違法性とは社会倫理規範違反による法益侵害の惹起であるとか、社会的相当性を逸脱した法益侵害・危殆化であるといったように、法益侵害・危険の惹起に「社会倫理規範」や「社会的相当性」といった限定を加えて違法性の実質を捉えていました。結果無価値論に限定を加えるイメージですね。ところが、井田先生の場合は、まったく発想が異なります。同書では、違法性の実質を法益侵害行為または法益危険行為と捉える一方で、形式的違法性として法益の保護を目的とした行為規範の違反を要求します。つまり、形式的違法性自体にその内容を読み込む見解であるわけです。

もう少し説明が必要でしょうか。同書では、違法性の実質はあくまでも法益侵害・危険の惹起と捉えていますから、「この点では」結果無価値が本質であると理解しています。そして、従来の行為無価値論のように実質的違法性に限定を加えるのではなくて、実質的違法性とは別に形式的違法性を考慮するのです。そして、最低限、形式的違法性があれば、犯罪は成立しうるのだと理解します(抽象的危険犯)。結果無価値論では、単に「法秩序」としか言及されず、解釈論としてはスルーされてきた形式的違法性ですが、井田先生はここに意味を持たせたわけです。だからこそ結果無価値論者は無視できないわけです。実質的違法性が結果無価値だとしても、形式的違法性をどのように扱うのかという新たな問題に直面するからです。

井田先生は、罪刑法定主義の本質的な理解(行為時に行為規範が提示されなければならないこと)から形式的違法性(規範違反行為)の重要性を説いています。また、結果の発生による行為の危険性の確証(危険の現実化)という形で、因果関係論でさえ、規範違反行為の問題だと理解しているようです(誤解が多いですが、一般予防論は「将来の」犯罪予防を目的とするので、事後判断の考え方とは矛盾しません)。このように、理論的に非常に一貫しているところが本書の最大の魅力です。

また、本書には、ところどころ絶妙な位置に関連ページの指摘があります。「これってどういうことだっけ?」と思っていると、カッコ書きで該当ページを示してくれます。これは非常に助かります。基本書としては分量が多い方ですが、とても読みやすいので通読も問題なく可能です(たぶん)。

本書には、ところどころ少数説が採用されているとの指摘もあるようですが、そもそも学界では行為無価値論自体がもはや少数説となりつつありますので、行為無価値論を採用する時点で多数説かどうかなどを気にする必要があるのかと思ってしまいます。少数説としてよくあげられるのが目的的行為論消極的構成要件要素の理論ですが、目的的行為論を採用しないで行為無価値論を採用することはほとんど不可能ですし、また、消極的構成要件要素の理論のほうは事実上、結果無価値論の場合と同じ処理手続になりますから、実は少数説でもありません(構成要件か責任かというラベルの違いだけです)。そして、これらの見解がかかわる領域は、試験とはあまり関係がありませんし、みなさんの言うところの「通説」もしっかり載っています。

行為無価値論の基本書としては、最有力候補のひとつでしょうか。

 

▼刑法総論の基本書については、こちらも併せてお読みください。

▼こちらもおすすめ。それほど難解ではありません。むしろ、わかりやすいくらいです。

刑法総論の理論構造

刑法総論の理論構造

 

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