こんにちは~
久しぶりに旧司法試験の過去問解説です。
今回の問題は、念頭に置かれている判例・学説が古いせいか、けっこう単純だったように思いますが、よく考えるときわどかったりします。現在の司法試験との関係も考えると、いかにあっさりと書くかがポイントでしょう。
第 1 問
甲は,甲の母X,妻乙及び甲の友人の子である大学生丙と共に暮らしていた。日ごろから高齢であるXの介護のため精神的・肉体的に疲れきっていた乙は,今の状況から逃れるにはXを殺害するほかないと考え,ある日の夜,殺意をもって,就寝中のXの頭部をゴルフクラブで数回殴打した。Xの悲鳴を聞いて駆けつけた甲は,ゴルフクラブを振り上げてXを更に殴打しようとしている乙に対し 「何をやってんだ。やめないか。」と言いながら,そこに駆けつけた丙と共に乙の行為をやめさせた。
Xは頭部から血を流して意識を失っていたものの息があったので,甲は,Xを直ちに病院に連れて行き医師の治療を受けさせれば死ぬことはないだろうと考えた そこで甲は,丙に対し 「Xを病院に連れて行くので手伝ってほしい。」と頼み,これを承諾した丙と共にXを甲の車に乗せて病院に向かった。ところが,日ごろから乙に同情していた丙は,Xがこの際死ねばいいと考え,車中で甲に対し 「病院に連れて行って医者から,事情を聞かれれば,乙だけではなく,僕たちもやったと疑われますよ。それより,Xを病院の前に降ろして寝かせておきませんか。そうすればだれかがXを見付けて助けてくれますよ。」と提案したところ,甲は,病院の前であればだれかが見付けてくれるだろうからXは死ぬことはないだろうと思い,丙の提案を受け入れた。そこで,甲と丙は,ぐったりしているXを車から降ろして病院の前の路上に寝かせて立ち去り,自宅に一緒に戻った。
しかし,丙は,Xが救命されないようにするため,甲に黙って再度病院の前に戻り,Xを人目に付かない植え込みの陰に運び,その場に放置して立ち去った。その後,Xは死亡した。後日判明したところによれば,Xの死因は,治療がなされなかったことによる失血死であった。
甲,乙及び丙の罪責を論ぜよ(ただし,特別法違反の点は除く。)。
※注意:法令・判例・学説は、現在のものを使用します。あらかじめご了承ください。
1.行為の分析
本問で検討すべき行為は、以下の通りである。
- 甲:Xは死ぬことはないだろうと思い、Xを車から降ろして病院の前の路上に寝かせて立ち去った行為
- 乙:殺意をもって就寝中のXの頭部をゴルフクラブで数回殴打した行為
- 丙:(1) Xがこの際死ねばいいと考え、Xを車から降ろして病院の前の路上に寝かせて立ち去った行為、(2) Xが救命されないようにするため、Xを人目に付かない植え込みの陰に運び、その場に放置して立ち去った行為
以前にも書いたが、共謀の事実にひきずられないこと。共犯は例外的形態(修正された構成要件)であるから、まずは原則形態である単独正犯で考えていく。単独正犯で犯罪事象を評価しつくせない場合にのみ、共犯関係を検討すればよい。
論じる順序だが、今回は時系列通りで構わないように思われる。基本的には、不作為犯よりも作為犯を先に検討すれば書きやすい。なぜならば、不作為とは「期待された作為を行わないこと」であるから、事実の次元ではなく、評価の次元にあるからである。物理的な動作のある作為犯のほうが犯罪として認識しやすいので、ある意味で不作為犯も、事実上、処罰の例外的な形式であると考えてよい。このあたりは深入りすると収拾がつかないので、試験的にはあまり難しく考えず、因果の起点に近い行為から検討していくのだと捉えておけばよいだろう。本稿では、乙→甲→丙の順に罪責を論じることにする。
2.乙の罪責について
就寝中のXの頭部をゴルフクラブで数回殴打した行為は、人体の枢要部に対する不意打ちであり、また、ゴルフクラブはその重量と長さから凶器として殺傷力が高いため、数回も殴打すれば被害者が死亡する可能性は十分に考えられるところである。ゆえに、乙の行為は、殺人罪(199条)の実行行為にあたると評価してよい。殺人罪の実行行為については、検討を省略しないで、必ず事実の評価をする必要があることに注意されたい。
本問において、Xは失血死しているが、問題は、乙の行為とXの死亡結果との間に因果関係が存在するかどうかである。というのも、乙の行為後に、甲と丙の諸々の行為(第三者の行為)が介在しており、これらの行為がXの死亡結果実現に寄与しているとも考えられるからである。乙の立場からすれば、甲と丙が余計なことをしなければ、後悔してXを助ける可能性もあったかもしれず、また、実は自分の行為を後悔していたが、甲と丙が病院に運んでくれているから自分がかかわらなくても大丈夫だと思っていたかもしれない。本問のような介護疲れから殺人に至ってしまうケースでは、加害者は必ずしも被害者を憎んで殺そうとしたわけではないという事情に、ぜひ問題意識を置いてほしいところである。この種の事例で、中止犯が問題となることが多いのは、このような事情からであるということも踏まえておいてほしいと思う。
そこで、因果関係の問題は、結果の発生を理由として行為により重い違法評価を肯定できるかどうかの問題であるから、行為の危険が結果に実現した(危険の現実化)といえる場合にのみ因果関係を肯定すべきであろう。ここで、前田三考慮要素を持ち出すと検討が面倒になるので、死因の同一性の基準で判断すればよい(井田講義・132頁)。
本問では、Xの行為はゴルフクラブで頭部を数回殴打するものであるから、当該行為には頭部から失血死させる危険性があり、これが実際に死因となってXは死亡しているのであるから、死因が同一であり、危険の現実化の関係が認められる。ゆえに、因果関係が肯定されることになる。
そしてXは、殺意(38条1項)を持っているので、当該行為に殺人罪が成立する。
なお、出題時である平成20年当時はともかくとして、現在では、因果関係がメイン論点となるような事案が出題されることはほとんどないと言ってよい。これは、判例の立場が明確になってきたからであり、因果関係を否定した判例がゼロに近いからである(判例が因果関係を否定したのは米兵ひき逃げ事件のみ)。因果関係に関する学説も、ここ数年で様変わりしていることに注意が必要である。本問は、相当因果関係説を念頭に置いた問題であり、相当因果関係説との関係でどうやって行為後の第三者行為の介在の影響を説明するのかをテストしたものであるが、現在では、もはや成立しない議論である。この点について、本問の出題趣旨を気にする必要はない。それゆえ、今現在この問題に解答するにあたっては、答案の分量はなるべく抑えたい。
ちなみに、本問では、乙はXの介護のために精神的・肉体的に疲れ切っているので、理論的には、適法行為の期待可能性(責任)が減少すると考えて超法規的に刑を軽減することも考えられてよい(期待可能性の理論。超法規的責任阻却事由)。試験的にはもちろんここまで要求されていないが、当事者の置かれた境遇や現在の介護制度の状況を考えると、現実的にはそういった配慮まで考えられてもよいのではないだろうか。実際に、裁判員裁判では、介護の過酷な負担から生じた殺人については、刑が軽くされる傾向にある。その多くは情状酌量のようであるが、期待可能性の理論によれば、犯罪論のレベルで刑の軽減に理論的根拠を与えることが可能となるのである。
3.甲の罪責について
甲がXを車から降ろして病院の前の路上に寝かせて立ち去った行為に、いかなる犯罪が成立すると考えられるか。暴行を行ったのは乙であり、甲ではない。
不作為の殺人においては、作為の場合と比較して、殺意(38条1項)をより厳格な要件とせざるをえない。これは、前述した通り、不作為が評価の次元に属するからであり、不作為犯の成立範囲を明確に画することが要請されるからである。本問では、甲は、「病院の前であればだれかが見付けてくれるだろうからXは死ぬことはない」と思っていたので、現実の問題であれば微妙なラインなのだが、試験という観点から考えると、殺人の故意はないという出題趣旨であることは明らかなので、殺人罪(199条)の成否は検討しなくてよいだろう。一応、気を付けてほしいところではあるので、頭の片隅に入れておいてほしい。
となると、不作為の傷害致死罪(205条)か重過失致死罪(211条後段)か保護責任者遺棄・不保護致死罪(219条、218条)かということになってくるように思われる。ここでは、刑が重い犯罪から検討し、また、故意犯から検討していくこととする(故意犯処罰の原則)。
まず、傷害行為及び傷害の故意が認められないので、不作為の傷害致死罪は成立しえない。たしかにXは死亡しているが、205条は「身体の傷害」を要求しており、本問はXをこのまま放置すれば新たに傷害が加えられたり、傷害として悪化するような事案ではないから、「傷害」にあたるとは考えられない。いかに不作為とはいえ、本問では「傷害」を認めることは困難であると思われる。「死亡」結果を「傷害」結果の延長として把握することもできないではないが、法益としては生命と身体とで質が異なるので、これをどのように説明するかが問題だろう。さらに、傷害の故意と殺人の故意とは程度の問題なのかも問題となろう。そう考えると非常にハードルが高いので、ここでは、やはり傷害致死罪以外の犯罪の成否を考えるべきではないかと思われる。
保護責任者遺棄致死罪の成否については、故意の有無が問題となる。本罪における故意は「客体の生命に対する抽象的な危険の発生」についての認識を要するところ(高橋各論・37頁)、本問では、「病院の前であればだれかが見付けてくれるだろうからXは死ぬことはない」と考えているのであるから、現実の事例であれば、かなりきわどいところである。これが試験問題であることを考えると、甲はXが死亡する危険性をまったく認識していなかったと考えることもできるが、問題文は共謀のような書き方をしており、これを過失と評価していくことには違和感がぬぐえない。仮に重過失致死罪と考えると、丙の罪責検討において過失犯との共同正犯の問題や、あるいは間接正犯構成の問題が生じてくるが、これが試験で要求されているとは思われない。それゆえ、甲は「Xは死ぬことはない」と考えたと問題文には書いてあるが、Xが死亡する「抽象的な」危険性は認識していたと評価すべきであると考えられる。甲が「医師の治療を受けさせれば死ぬことはない」と思ったということは、裏を返せば、治療を受けなかったら死ぬかもしれないと思ったということなので、この事実から保護責任者遺棄致死罪の故意を肯定することになるだろう。
ゆえに、甲の行為には保護責任者遺棄致死罪が成立する。なお、Xが「病者」にあたることに問題はなく、また、Xが甲の母である以上は、甲に保護責任者の身分を肯定することにも問題はないように思われる。放置行為が「遺棄」にあたることはもちろん、因果関係の成否に関しても、乙の場合と同様に肯定することができよう。
4.丙の罪責について
丙は、Xを車から降ろして病院の前の路上に寝かせて立ち去っているが(第一行為)、甲とは異なり、「Xがこの際死ねばいい」と考えている。すなわち、丙の行為に不作為の殺人罪(199条)が成立するかどうかが問題となると考えられる。さらに、丙は、Xが救命されないようにするため、Xを人目に付かない植え込みの陰に運び、その場に放置して立ち去っている(第二行為)。ここで、行為とは、自己の意思によって支配・コントロールできる身体的態度であるから、この2つの行為が、同一の意思に基づく行為である以上は、一連の行為と捉えて差し支えない(場所的・時間的接着性もある)。ゆえに、この一連の行為に不作為の殺人が成立するかどうかが問題となる。
本問では、丙は甲に対して殺意を秘しており、しかも甲を騙してもいるため、殺人という側面でとらえると、不作為の共同正犯(60条)というよりも作為的な間接正犯に近いと言える。つまり、殺人との関係では、丙の独立性が強い。そこで、まず丙単独の不作為の殺人と考え、それに加えて保護責任者遺棄致死罪の共同正犯が成立すると構成することが考えられる。
まず、不作為犯の成立範囲を明確に限定する必要があることから、不作為の実行行為性が認められるためには、①作為義務、②作為の可能性・容易性を考慮することで、法益侵害の現実的危険性が作為犯と構成要件的に同価値であることを要すると考えられる。また、作為義務の発生根拠は、法令・契約、先行行為、排他的支配領域など多元的に考えられるべきであると考えられる。この点は、自分の立つ見解によって展開の仕方が変わってよい。端的に、保障人的地位に立つものの不作為のみが実行行為となりうると解して、保障義務の発生根拠をあげてもよいだろう。
いずれの見解に立つせよ、本問では、意識を失ったXを一度、車に乗せている点で先行行為及び排他的支配があり、条理上、そのまま病院に運ぶべき法的義務が発生すると考えられる。夜間における車の走行では、車内にいる意識のない被害者が外部から視認されることは、まず考えられないであろう。また、丙は甲を欺罔するなどしており、甲に救助させないようにしていることからも、丙の排他的支配は強められていると評価できる。さらに、丙は、Xが救助されないように、甲に黙ってわざわざ病院前まで戻り、Xを人目に付かない植え込みの陰に運び、その場に放置して立ち去っている。このことから、Xを車から降ろした後も、なお丙は排他的支配領域を維持し続けていたと言うことができる。そうであれば、Xが意識を失っていることから、Xの生命はもっぱら丙との関係に依存していたと評価できるため、丙の作為義務が認められると考えられる(①)。そして、当該作為義務の内容を「病院に連れて行って治療を受けさせる義務」だと考えれば、そのまま車で運んで治療を受けさせればよかっただけなのであるから、作為の可能性・容易性も認められるであろう(②)。ゆえに、丙の不作為(作為義務違反)は、作為犯と構成要件的に同価値であると考えられるため、殺人の実行行為性が認められる。
したがって、Xは失血死し、死亡結果と丙の行為との間に因果関係も認められ、丙に殺意も認められるのであるから、不作為の殺人罪の成立を肯定してよいだろう。
また、行為類型によって違法性を画定すべきであるから、構成要件の重なりあいの範囲内において共同正犯の成立を認めるべきである(部分的犯罪共同説)。ゆえに、殺人罪と保護責任者遺棄致死罪は構成要件的に重なり合うので、丙の行為には、甲の行為との保護責任者遺棄致死罪の共同正犯の余地が認められるが、保護責任者遺棄致死罪は加減的身分犯であるから、共犯と身分の問題が出てくる。
共犯と身分の問題は、条文の文言の問題である。65条を見ると、1項は連帯的な規定であり、2項は個別的な規定となっていることがわかる。つまり、処罰を連帯するのか個別に考えるのか、一見すると矛盾していてよくわからないということがここでの問題なのである。これについて、判例の立場は曖昧だが、文言の形式性に注目して、構成的身分犯は1項、加減的身分犯は2項で処理するのが簡明だろう。したがって、本問では、保護責任者遺棄致死罪が加減的身分犯(単純遺棄致死罪の加重類型)であることから、65条2項が適用され、科刑上、単純遺棄致死罪となる。なお、共同正犯の規定(60条)は、「第十一章共犯」に置かれているから、共同正犯についても当然に65条の適用があると考えられる。
したがって、保護責任者遺棄致死罪(科刑上は単純遺棄致死罪)と不作為の殺人罪とは吸収一罪(包括一罪)となるものと考えられる。
なお、余力があれば、結果の重複評価の問題や、多重正犯者の問題について触れても良いかもしれない。
本問の出題趣旨は、以下の通りである。
(出題趣旨)
本問は,被害者と同居している2名が,他の者の暴行により自宅内で負傷した被害者を病院前に搬送して放置したところ,さらに,うち1名が被害者を人目のつかない場所に移動させ,後刻,同人が死亡したという事例を素材として,事案を的確に把握してこれを分析する能力を問うとともに,実行行為及び第三者の行為が介在した場合の因果関係の存否等に関する理解とその事例への当てはめの適切さを問うものである。