緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

事前判断と事後判断

こんにちは~

タイトルがややこしくなってきたので、ここで一度まとめておきます。

てなわけで、本日は、違法論第3回「事前判断と事後判断」というテーマです。

結論から申し上げますと、方法論的には判断の基礎事情をどこまで含めるべきかという問題に帰着します。というより、事前判断と事後判断の定義からそうなるのだとしか言えないのですが。

はじめに誤解を正しておきたいと思います。最も多い誤解は「事前判断」という言葉に引きずられることによるものです。「事前判断」は、イメージ的には行為の時点で判断することをいいます。しかし、この意味は、裁判官がタイムマシンで時間を遡って過去のある時点で判断するということではありません。そんなの間違うわけがないじゃないか、とお思いになるかもしれませんが、学術論文レベルでさえ頻繁に間違われています。次のように言えば、いかに間違いやすいのかが鮮明になります。実は「事前判断」は「事後判断」の一種なのです(下図参照)

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繰り返しますが、事前判断・事後判断の理論対立の実益は、判断の基礎事情をどこまで含めるべきかという点にあります。現在では、結果無価値論も行為無価値論も、事前判断と事後判断のいずれかで立場を一貫させられないという点が指摘されていますが(佐伯・総論105-106頁参照)、厳密に言えば、むしろいずれの立場に立っても論理は一貫させられるということなのです。

結果無価値論と行為無価値論とで差があるとすれば、どのような理由で事前判断に限定することが可能なのかという点でしょう。結果無価値論の立場からは、法益侵害又は危険の惹起に影響を与える限度で、あるいは、法益侵害又は危険の惹起を行為者に帰責する限度で、事前判断の問題も問われます(山口・総論271頁参照。なお同書は「一般人の事後的な危険感」との表現を用いていますが、これは行為無価値論の事前判断の方法とほとんど差がないように思われます)。いわば原則としての事後判断、例外としての事前判断を考慮するのです。これに対して、行為無価値論の立場からは、一般予防目的から「規範違反行為」を現実の行為後に再帰的に構成することになるので、行為規範の設定に関与する限度で事後判断の問題が考慮されます(井田・理論構造267頁参照)。ここから明らかなように、行為無価値論は、結果無価値論とは原則・例外が逆転します。

結果無価値論はシンプルであるがゆえに誤解がほとんどないのですが、行為無価値論に対しては誤解が非常に多いです。規範違反行為は事後判断で構成されるという大前提が見落とされるのです。あくまでも行為無価値論は「将来の」予防を重視する立場ですから、過去の行為のために「事前判断」するわけではないことにぜひ注意してください。

長くなるのを避けたいので、今回はこのくらいにしておきましょう。

それではまた~

 

▼つづき

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