緋色の7年間

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司法試験「採点実感等に関する意見」のまとめ(刑法平成20~25年)中編

◆事案分析で陥りやすいミス

前編で書きましたように、採点実感を読む限り、試験委員から問題点として最も指摘されているのは「事案分析」の能力の欠如です。ここで言っている「事案分析能力」とは、「事実関係を的確に分析・評価し、具体的事実に法規範を適用する能力(H25・25頁)のことです。それはもうおびただしい数の指摘の嵐です。

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とりあえず、このタイプのダメ答案とは一体どのようなものかを列挙してみましょうか。まとめると、以下のようなかんじです(H20・16頁、H21・18-19頁、H22・20頁参照

  • 単に問題文に記載された事実を羅列・転写しただけ
  • 事実の持つ意味やその評価に触れていないか、またはそれらが不適切
  • 自己の見解に沿うように事実の評価をねじ曲げる
  • 問題文において主要事実が確定しているにもかかわらず間接事実の積み重ねによる事実認定を行うという誤り
  • 法律論の論述のみに終始
  • 結論を導くのに必ずしも必要ではない典型的論点に関する論述を展開
  • 問題となり得る刑法上の罪をできるだけ多く列挙するだけ

大雑把にカテゴライズすると、次の2点が「ホットスポット」のようです。

  1. 事実を見る → 法律論を展開
  2. 事実の摘示 → 事実の評価

◆具体的にどこでつまづくのか

では、「事案分析」について具体的に考えていきたいと思います(なお、この記事では刑法総論分野のみ。次回は各論分野)。上で述べた2点を念頭に置いて読んでみてください。

(1) 行為論:行為を分断しすぎ or 統合しすぎ

えーと、残念ながら行為の統合と分断の問題に関しては、ほとんど経験の多さによるところが大きく、これといって効果的な解決策はありません。なぜならば、多数説によると行為とは、意思に基づき、あるいは、意思によってコントロール可能な社会的に意味のある態度社会的行為論)ということになりますが、この「社会的な意味」という言葉が曖昧でどうしようもないからです。一応、行為の抜き出し方について記述した基本書もないことはないですが(高橋・総論69頁以下参照)、明確な基準が打ち出されているとは言い難いです。私からも、せいぜい、行為を選び出す際には、行為者の意思・目的の一貫性被侵害法益の内容の同一性に着目してくださいとしか言いようがありません。実際のところ、行為態様や客観的事実だけでは判断が困難なのです。

「甲の行為を余りに分断的で細切れにとらえ,刑法的評価の前提となる甲の行為を的確に把握できていない答案」「甲のA方内での行動について,甲がカッターナイフの刃をBの目の前に突き出した行為は脅迫罪,甲がBに「静かにしろ。」等と言った行為は強要罪,甲がリビングボードに近づいた行為は,新たな別個の強盗(未遂)罪のように,事実のとらえ方が不適切な答案」(H20・16頁)、「同一の被害について,特段の問題意識を持たないまま複数の財産犯の成立を認める答案。例えば,80万円の送金行為につき,背任罪,横領罪,電子計算機使用詐欺罪のすべてが成立するとするもの。」(H21・19頁)、「記述の濃淡の付け方が必ずしも適当でない答案も見受けられ,刑事責任が実際上問題とならないようなささいな点を取り上げて延々と論述するものも少なからずあった。」(H23・25頁)

これとは逆に、行為を統合しすぎというパターンもあります。

第1場面から第3場面に至る甲の行為が全体として1個と評価されるか否かについて,それを論ずる実益も明らかにしないまま,検討している答案(H23・25-26頁)

論ずる実益」と言われても困ってしまうところですよね。行為が分断される場合は、明らかに犯罪が成立しない場合や、どう考えてもより重い罪に吸収される場合、量的過剰防衛が成立しない場合などを言っているのでしょうか。行為が統合される場合は、一連の行為として把握することで、行為を分断した場合よりも重い罪が成立することが十分にありえる場合あたりでしょうか。

繰り返しますが、このあたりは経験によるところが大きいです。ただ、学生は実務経験を積めるわけではないので、ここでいう「経験」とは、必然的に判例の読み込みということになります。量をこなすしかないパターンです。

(2) 不作為犯:作為義務の認定

いわゆる不真正不作為の問題は、作為義務(保障人的地位)の認定において、様々な事情を拾って適切に評価できるかどうかが重要です(作為義務の発生根拠については争いがあります。これについては「いわゆる不真正不作為犯」を参照)。採点実感で指摘されている点をまとめると以下の通りで、これをチェックポイントに流用すればよいでしょう(多少、内容が重複しているのは気にしないでください。これは原文のニュアンスを重視したことによります)

  • 第一次的な看護義務は誰にあるのか(被害者が患者→病院側)(H22・20頁)
  • 複数の具体的な事情を詳細に検討(H22・20頁)
  • 作為義務、救命可能性及び故意について、それぞれの時間的先後関係を意識して検討(H22・20頁)
  • どの時点まで救命可能性があったのかが重要(H22・21頁)
  • 既に救命可能性が失われた時点で作為義務や故意を認めるのはアウト(H22・21頁)
  • 不作為犯ととらえた場合の作為義務の内容(H22・20頁)
  • 「被害者の妻→民法上の扶助義務」のみを指摘するのでは不十分(H22・21頁)

(3) 因果関係

採点実感で指摘されているのは、

  1. 因果関係論の具体的な適用方法のミス(H22・21頁)
  2. 不作為犯の因果関係の特殊性(H22・21頁)
  3. 過失行為の後の故意行為の介在の認定・検討(H22・21頁)

の3点です。

このうち、③は注意するだけで解決しますから、チェックポイントに入れておくだけで対策できるでしょう。

②に関して、因果関係論で不作為犯を特別に扱うのは個人的にはかなり疑問です(なお、山口・総論2版78頁参照)。というのも、不作為犯の因果関係を特別視する発想は、不作為犯における条件関係について条件公式をそのままあてはめられないということから生じているからです。しかしながら、近時の「危険の現実化」の判断においては、条件関係自体を独自に問題とする必要がないとも考えられるので(山口・総論2版60頁以下参照)、条件公式の適用で詰まることが観念しえない立場が出てくるように思われます。ただ、不作為の因果関係については、一応、判例覚せい剤注射事件。最決平成元年12月15日刑集43巻13号879頁)があるところですから、とりあえず当該判例に乗っかって「結果回避可能性」や「結果回避の高度の蓋然性」(殺人罪においては「救命確実性」)について、ひとこと触れておけば安心かもしれません。

①は立場によるので何とも言い難いですが、おそらく「危険の現実化」の具体的な判断方法について述べているものと思われます。一応、このブログではその解答のようなものを既に出していますから、これを参考にしてもらうか(→「因果関係と客観的帰属2」を参照)、あるいは、この記事の最下段に掲載した実務家執筆の文献を読むのがよいと思われます(もちろん後者をおすすめします!)

(4) 過失犯

判例の立場からは「予見可能性に基づく結果回避義務の違反」を認定すれば足り、予見義務結果回避可能性には触れなくても構いません(新過失論ないし新・新過失論)。ただ、判例の理解については対立の激しいところであり、学説が錯そうしているので、混乱している学生が多いかもしれません。一応、上のように理解できる理由を説明しておきますが、新過失論の立場からは結果回避義務の違反(行為規範違反)を過失犯の本質と考えますので、その結果として予見義務が不要とされ、あるいはそれが別の要件に解消されると考えることになります。さらに、結果回避可能性を因果関係の問題で考慮されていると考えれば、「予見可能性に基づく結果回避義務の違反」だけを考えればよいことになるのです。

採点実感では、要件検討ももちろんですが、具体的な事実の認定と評価が大切だと指摘されています。そして、注意義務(結果回避義務)を認定する以上は、行為者は具体的に何をすべきだったのかということまで指摘しなくてはなりません。そうでなければ、何を義務付けているのかがわかりませんし、究極のところ、犯罪の一般予防にもならないからです。

ダメ答案として次のようなものが列挙されています。

  • 過失犯の基本的な理論(予見可能性・予見義務、結果回避可能性・結果回避義務を内容とする注意義務違反など)について全く言及していない答案(H22・21頁)
  • 行為者がそれぞれが担当する職務に応じて負担する注意義務の内容を具体的に特定していない答案(H22・21頁)
  • 注意義務違反の当てはめにおいて、予見可能性や結果回避可能性等に関係する具体的事情をほとんど拾っていない答案(H22・21頁)

(5) 正当防衛

採点実感で特に多く指摘されているのは、防衛行為の「相当性」の要件です。ほかには、防衛の意思と攻撃の意思の併存(H23・26頁)自招侵害(H23・25頁)量的過剰(H23・26頁)あたりが抜け落ちやすいポイントです。非常に抜け落ちやすいです。とりわけ自招侵害は、正当防衛の規定からどうひっくり返しても出てこないので、さしあたり「急迫性」と「相当性」の2点に位置付けておけばよいと思われます(これについては、井田・講義277頁、288頁を参照)。採点実感でも指摘されていますが、「正当防衛に関する近時の重要な最高裁判例及びそれをめぐる議論の状況等についての正確な理解が前提となる」〔強調引用者〕(H23・24頁)ことはたしかです。なぜならば、違法性段階は利益衡量の段階なので、具体的な帰結を理論からストレートに導きにくいため、判例を参考にしていくしかないからです。

防衛行為の相当性については、次のような点に気を付ければよいでしょう。

  • 侵害者がナイフを取り落としたとはいえ、その後も侵害者が攻撃の気勢を示し続けているにもかかわらず、直ちに急迫性が失われたとしてしまうのは好ましくない(「相当性」というより「侵害の継続性」ですが。H23・25頁)
  • 同じ事実が「相当性」判断ではいかなる意味を持つのかについても明らかにすること(H23・25頁)
  • 防衛行為の相当性を検討するに当たり、侵害者が既にナイフを車内に落としていることを踏まえ、防衛者としては、振り落とし以外にどのような手段を採り得たのか具体的に検討すべき(H23・26頁)

つまり、①急迫性で考慮した事実と同じ事実を考慮することがあり得ること、②当該防衛行為とは別の手段を考えることの2点について、気を付ける必要があるということです。

(6) 正犯と共犯

採点実感で正犯と共犯について指摘されている点は、わりと細かいです。細かいがゆえに、抜け落ちがちということでしょうか。

  • 他者の行為を利用する場合には、間接正犯か共犯について言及すべき(H21・18頁)
  • 共謀の認定の前に故意の認定を忘れずに(H24・25頁)
  • 犯罪が既遂に達した後の関与等を根拠に共犯関係を肯定してはいけない(H21・19頁)
  • 自ら発案し、自身も利益を取得していることなどを認定しながら、得られた利益が共犯者と比較して少ないことだけを理由に共同正犯ではなく教唆犯の成立を認めるのは好ましくない(正犯性の認定。H24・25頁)
  • 共犯と身分の問題について、規範の定立をしっかり行うべき(H24・25頁)

(7) その他

ちなみに、こんなミスもけっこうあるみたいです。

法律用語の使い方の問題として,丙が最終的に不可罰であることについて,「無罪」と表現する答案が少なからず見受けられた。「無罪」は公訴提起された事件について判決で言い渡されるものであり(刑事訴訟法第336条),刑事訴訟法の正確な理解が求められる。(H23・26頁)

端的に、「犯罪は成立しない」と書けばよいでしょう。あくまでも実体法上の問題として考える必要があります。 

 

以上について、7割弱くらいはこの「判例集+実務解説」の本でカバーできるように思われます。

刑事事実認定重要判決50選〔第2版〕(上)

刑事事実認定重要判決50選〔第2版〕(上)

 

次回は、各論についてです(まとめてるはずなのに長い…)。

それではまた~

 

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