緋色の7年間

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「被害者なき犯罪」と道徳・社会倫理規範

◆何が問題となっているのか

こんにちは~

本日のテーマは、いわゆる「被害者なき犯罪」です。

個別具体的・直接的な被害者(法益主体)のいない風俗犯経済犯などの犯罪類型を、「被害者なき犯罪被害者のない犯罪」と総称することがあります。たとえば、賭博の禁止(刑法185条等)マネーロンダリング規制(犯罪収益移転防止法26条等)、ヒトのクローンの規制(クローン規制法16条等)などの犯罪類型がこれにあたります。最近では、国連からの要請もあって、非実在児童ポルノの禁止が議論されています。「被害者なき犯罪」の多くは社会的法益に関する抽象的危険犯であり、法益侵害又は法益侵害の具体的危険性を惹起する行為がなくとも、法益の保護を目的とした行為規範の違反行為(法益侵害の抽象的危険性を有する行為)があれば犯罪が成立することになります。要するに、現実に目に見える被害がなくとも、形式的に犯罪構成要件を充足すれば、犯罪が成立するのです。また、具体的な被害者(法益主体)の存在を観念しえないため、被害者の承諾同意による法益の放棄又は要保護性の減弱が考えられないことになり、この点で構成要件該当性又は違法性の阻却を考えることはできません。なお、犯罪の実行行為者自らが被害者であると見られる場合も「被害者なき犯罪」に分類されることがありますが、この場合には、被害者の承諾/同意の限界(自己決定権の限界)に関する問題が別に付加されます。

「被害者なき犯罪」においては、法益(法律によって保護されるべき生活利益)の内容が高度に抽象化され、それが社会における道徳・倫理規範と接近します。このことをもって、いわゆる「法益の精神化」だとして批判の対象とされることがありますが、法益自体はそもそも精神的なものですから(「刑法解釈と他者関係性」参照)、このような批判はそこまで有効なものとは言えません。また、立法府によりそれが法益の内容となっている限りにおいて解釈論に取り込むことは正当であり、いわゆるリーガル・モラリズム法と道徳の混同の問題とはなりません(「結果無価値論 VS 行為無価値論」参照)。したがって、法解釈論としては、「被害者なき犯罪」について特段の問題はほとんどありません。強いて言えば、判例・実務との関係において、「被害者なき犯罪」のすべてがおとり捜査の対象となりうるのかどうかという問題があるくらいでしょうか(最決平成16年7月12日刑集58巻5号333頁参照)

しかしながら、「被害者なき犯罪」は、立法論的には非常に議論が激化しやすい傾向があります。その理由は、そもそも曖昧な道徳・倫理を法律によって保護すべきかという問題があるからです。価値観の多様化した現代社会では、なおさらそれが問題となります。この意味では、「被害者なき犯罪」は、前刑法学的な社会的実態に着目した用語だと捉えたほうがよいでしょう。どちらかというと、刑法学よりも憲法の領域で議論されるべきテーマと言えるかもしれません。

◆問題の考え方

この問題に対する最も極端な立場としては、自由主義を強調し、そのような「被害者なき犯罪」の犯罪化は、一切許されないという見解です。他方の極には、社会秩序の重要性を説き、法律によって社会秩序を維持するために「被害者なき犯罪」を認めるべきだとの見解があります。

我が国は自律的個人を尊重する自由主義社会ですので憲法13条前段参照)、原則論としては、前者の立場に立脚します。しかし、自由主義社会といっても、そこには「公共の福祉」の留保がつけられていますので憲法13条後段、12条後段)、「被害者なき犯罪」をまったく許容しないかというと、そうも言えないでしょう。現在の憲法学では、「公共の福祉」を人権相互の矛盾衝突を調整するための実質的公平の原理と解する立場(一元的内在制約説/他者加害原理/自由国家的公共の福祉)は後退しており、人権相互間の調整に加えて、正面から公益又は公の秩序を規制・犯罪化の正当化事由に援用することを許容する立場が有力化しています。たとえば、公益又は公の秩序の例としてしばしば指摘されるものとして、「街の美観風致」などがあげられます。もっとも、この立場からは、事案によって個別具体的に正当化事由を検討しなければならないことが要請されますから、「被害者がいないから犯罪化するのは間違っている」との主張はそれだけでは有効でないということが明らかにされたものの、実際に「被害者なき犯罪」をどこまで認めるかという問題の核心部分は残されたままということになります。要するに、現行憲法のもとにおいては、実際に被害者がいれば犯罪化の方向に働きますが、被害者がいないからといって犯罪化されない方向には働かないのであって、そうであれば、そのほかの要因を考慮して犯罪化の是非を議論するしかないわけです。

たとえば、現在議論されている非実在児童ポルノ規制の問題では、日本国内では「表現の自由 v. 被害者の人権」の比較衡量の問題だと読み込まれているようですが、正しくは、「表現の自由 v. 善良な性道徳」の比較衡量の問題です。被害者がいないからといって、直ちに規制は許されないということにはなりません。ここでの問題は、国際的に要請されている性道徳が、国内において「街の美観風致」などと並んで公益又は公の秩序の内容をなし、非実在児童ポルノの規制を正当化する理由となるかどうかです(なお、学説では表現の自由の優越的地位が広く承認されていますが、判例はこれに積極的でないことに注意を要します)。規制をかけたい側としては、その理由を可能な限り具体的かつ説得的に論じていくことが求められます。他方で、規制をかけられたくない側としては、相手方の理由付けに対していかに説得的に反論していくかがポイントになります。この意味では、「被害者がいないから犯罪化するべきではない」との主張は、反論としてはまったくの的外れであり、議論がかみ合っていないと言えます。

現在、既に存在する「被害者なき犯罪」の犯罪化の正当化事由としては、たとえば冒頭の賭博禁止であれば、通説・判例によれば、「勤労その他正当な原因に因るのではなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風を害する」ことだとされています最大判昭和25年11月22日刑集4巻11号1380頁)。近時、空港周辺などにカジノ施設を設置するという話もありましたが、当然のことながら、激しい議論になりました。マネーロンダリング規制については、麻薬密売などの組織的犯罪において、その取引による莫大な資金を効果的に規制することが犯罪の撲滅につながることが理由となっています。実は、最近まで、日本は、国際的なマネーロンダリング包囲網の抜け穴になってしまっていました。国際社会からの圧力で、ようやくマネーロンダリングを規制することとなったわけです。ヒトのクローンの規制については、その理由は「人間の尊厳を守るため」ですが、ここまで抽象的な理由付けだと「単に気持ち悪いから」と言っているのと同じかもしれません。専門家でも明確な理由はわからないのですが、厄介なことに、「理由がわからない」ことと「理由がない」こととは異なるのです。したがって、事案によって慎重に議論することが求められると言えます。

このほかにも「被害者なき犯罪」の類型はたくさんありますが、議論が激化しやすいテーマが多いです。仮に議論になった場合には、せめて議論の枠組みだけは、しっかり押さえておきたいものです。

それでは~

 

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