緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

遺伝情報概念と法整備のゆくえ

こんにちは~

本日のテーマは、法的な観点から見た「遺伝情報」概念です。

諸外国では、遺伝情報によって雇用保険などの領域で不当に差別されるのではないかとの懸念に対応して、既に立法が行われています。これらの立法を、「遺伝子特化型立法」と呼びます。たとえば、アメリカでは、紆余曲折を経て遺伝情報差別禁止法(GINA2008)が制定されています(「遺伝情報差別禁止法の立法経緯を翻訳してみた」参照)

これに対して、日本では、遺伝子特化型立法に関する目立った動きは、今のところ見られません。遺伝情報の問題に特化した法律が制定されていないため、現状では、既存の法律と行政の策定した(法的根拠が一切ない)ガイドラインで対応しています。

現在、遺伝子特化型立法の問題を中心に取り扱っているのは「医事法」という法領域ですが(「医事法の世界へようこそ!」参照)、遺伝子特化型立法の問題には労働法保険法はもちろん、情報法なども絡んでくるので、正直なところ医事法学界のキャパでは対応できませんし、実際に対応できていません。医事法学自体が、もともと医師・患者関係等を念頭に置いていることもあって、後述する消費者直販型遺伝子検査関係の問題は医事法における位置づけが難しいですし、学界の雰囲気として全般的にビジネス関係(とりわけ経済・金融分野)に疎い距離を置いているかんじなので、理屈が抽象論に終始するという傾向もあります。

以上に加えて、遺伝子特化型立法への対応の仕方がEUとアメリカとでわかれているということも相まって、法的な意味での「遺伝情報」については、日本の法学研究者の間ではいまだに一致した見解がありません。文献を見る限りでは、諸外国の制度の輸入ばかりであり、日本法の議論としてはほとんど成立していないのです。

そういうわけで、この記事でも、もちろん遺伝情報関係の議論を追うのは難しいというか無理なので、問題の背景と考え方だけですが、ざっくりと説明することにしたいと思います。

1 背景

(1) 消費者直販型遺伝子検査の登場

まず、遺伝子特化型立法が問題となる背景について確認しておきましょう。これまでも遺伝情報の不当な取扱いが問題として議論されてきましたが、ここ最近になって特に問題とされるようになったのは、これから説明する「消費者直販型遺伝子検査」の普及があったからです。

いわゆる「次世代シークエンサー*1の登場により、遺伝子解析が比較的安価に行えるようになりました。これにより、「消費者直販型遺伝子検査」という新たなビジネスが登場したのです。2007年、米国の23andMeが世界初の遺伝子検査ビジネスを展開し、日本では2014年1月にジーンクエストがはじめて遺伝子検査ビジネスに参入しています。同年6月には、DeNAライフサイエンス*2東京大学医科学研究所*3と共同記者会見を開き、遺伝子解析サービス「マイコード」*4を発表しています*5

これから10年足らずのうちに「団塊の世代」が後期高齢者の75歳に到達し、「超高齢社会」が到来します。ここにおいて、爆発的に増大する医療需要は、深刻な供給不足を引き起こすことになるとともに、医療費の公的支払体制が完備している我が国では財政をも圧迫することになります。そこで、「医療需要の総量抑制」が重要な課題となるのです*6

その対策の切り札は、「個別化医療(テーラー・メード医療)」の促進です。すなわち、事後的な治療から事前の個別予防にシフトさせ、医療需要を日常生活の一部に解消させるという考え方です。これにより、医療需要の総量抑制を図ることが可能だとされます。「遺伝子検査ビジネス」は、このような個別化医療の最前線に位置づけることができるでしょう。

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現在の遺伝子検査ビジネスの主流は、遺伝情報から当該個人に最適な健康促進・疾病予防策の提案を目的とするものです。従来も病院等で遺伝子検査は行われていましたが、これらはとても高額で、主に病気にかかる疑いが濃厚な個人が対象でした。それゆえ、遺伝子検査は多くの人々が受けるようなものではなかったのですが、次世代シークエンサーの登場によって、民間レベルで安価に遺伝子検査を受けられるようになったわけです。この遺伝子検査は、医師や病院を介することなく消費者に対して直接(Direct-to-Consumer)に販売されることから、「消費者直販型遺伝子検査(DTC遺伝子検査)」と呼ばれます*7。遺伝子検査を実施する企業のサイトや大手ネット通販 Amazon などにおいて、数万円程度で購入可能であり、安いものは1万円を下ります(下掲)。

(2) 「遺伝情報のプラットフォーム化」

もっとも、消費者直販型遺伝子検査の普及は、予防医療の範囲をはるかに超えた遺伝子ビジネスを生み出す可能性を秘めています。

たとえば、米国の23andMeは、単なる遺伝子検査サービスではありません。驚くべきことに、23andMeは取得した遺伝情報をAPI形式*8で一般公開しているのです*9。簡単に言えば、同社は、集積した遺伝情報を誰でも無料で使えるようにしているのです。

これは、「遺伝情報のプラットフォーム化」とでもいうべき革命的な発想だと思われます*10

一般的には、多くの人は遺伝情報について自己のプライバシーを主張し、情報を秘匿しようとします。なぜならば、遺伝情報を誰かに悪用される可能性があったり、意図しない目的で利用される可能性があったりするからです*11。遺伝情報の公開によって不利益を受けるおそれがあるのであれば、誰も自分の遺伝情報を公開しようとは思いません。しかしながら、仮に相手を信頼することができれば、むしろ積極的に公開したほうが自己の利益になると考えることもできます。なぜならば、遺伝情報の開示・提供によって当該個人に適合した高品質なサービスが実現可能となるからです。たとえば、学習支援、人材開発、マーケティング、病院紹介、創薬などなど、考えられるビジネスはたくさんあります。これらのビジネスの実現にあたっては、必然的に大量の遺伝情報を必要とします。したがって、大量の遺伝情報の集積を実現する「遺伝情報のプラットフォーム化」は、遺伝情報の秘匿から公開へというパラダイムシフトの可能性を秘めています。

このような状況の下、遺伝情報の悪用や不当な差別の懸念が一層深刻化することになるわけです。

2 遺伝子特化型立法について

(1) 遺伝子特化型立法の是非

遺伝情報の取扱いをめぐっては、対立する2つの考え方が提唱されてきました。

一方は、遺伝情報は特別な保護を受けるに値するほど他の情報とは異なるのだとする考え方です(遺伝子例外主義)。その根拠として、①未来予見可能性、②家族間共有性、③スティグマとの関連性の主に3点があげられてきました*12。この考え方によると、保険や雇用等の分野において遺伝子特化型立法が必要だということになります。

これに対して、遺伝情報は特別な保護を受けるに値するほど他の情報とは異ならないとする考え方があります(反遺伝子例外主義)。その根拠は、自由主義リバタリアニズム)に求められます。この考え方によると、遺伝子特化型立法は不要であると考えることになるわけです。

論点としては、遺伝情報に対する例外的な取扱いを一切許容しないものとすべきかどうかということになりますが、現行憲法自由主義を基本としながらも「公共の福祉」の留保を付けていますから憲法13条後段、12条後段参照)、そういう意味では、遺伝情報につき他の情報と比較して特別の取扱いを認める余地があるということになるでしょう。もっとも、「遺伝子例外主義 v. 反遺伝子例外主義」という抽象化・一般化された図式で考えるよりも、個別具体的なケースにおいて遺伝情報の保護の必要性を問うべきではないかと思われます。

(2) 遺伝子特化型立法の形態

仮に遺伝子特化型立法が行われるとしても、重要なことは、個人の権利・利益の保護であって、必ずしも遺伝情報自体の保護ではありません。ここから、遺伝子特化型立法のあり方として2つのアプローチが考えられます。

ひとつはEUが採用する「情報保護プライバシー・アプローチ」であり、もうひとつはアメリカが採用する「差別禁止平等論的アプローチ」です*13。日本法においては、前者のアプローチについては、憲法13条の「プライバシー権自己情報コントロール権」を根拠とするものだと考えることができますし、後者のアプローチについては、憲法14条1項の「平等権平等原則」を根拠とするものと考えることができます。

この2つのアプローチの違いは、主に、情報の収集を規制するか、情報の利用を規制するかという着眼点の違いであり、事前規制か事後救済かの違いと見ることもできなくはありません。

また、既に存在する制定法の解釈との関係でも、この考え方を適用することができます。たとえば、保険法(平成20法56)で遺伝子検査の結果が告知義務の対象に含まれるかどうかが問題となる場合がありえます*14。保険法37条は、生命保険の保険契約者又は被保険者になる者に対して「保険事故の発生の可能性に関する重要な事項のうち保険者になる者が告知を求めたもの」(告知事項)につき事実の告知を義務付けていますが、ここに遺伝子検査の結果などの遺伝情報が含まれるのかどうかが問題となります。 この場合には、上の2つのアプローチのいずれを採用するかによって、対応の仕方が変わってきます。

(3) 法律要件としての「遺伝情報」?

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ここからは個人的な推測ですが、どのような過程をたどるにしても、最終的には「遺伝情報」概念が、個人と産業の利害関係を調整する役割を担うこととなるはずです。これは、「遺伝情報」概念が法律要件(法律の適用対象)を画し、それゆえ法律効果(規制)を制限するものとして機能すると考えられるからです。将来的には、当該産業における企業の法務部は、「遺伝情報」にあたるかどうかの判断を迫られることになるはずです。

「遺伝情報」概念は多義的で曖昧ですが、消費者と産業との利害調整の役割を果たす機能を有すると考えれば、「遺伝情報」に該当するかどうかは実務的に見ても非常に重要であるように思われます。消費者の側からすれば自分が保護の対象となるかどうかの分水嶺であり、一方で産業の側からしても産業として成立するかどうかの分水嶺ともなりうるのです。

アメリカの遺伝情報差別禁止法では、法的な「遺伝情報」概念の定義につき、「遺伝子検査」概念を中核に、その拡張(家族のカルテなど)と適用除外(性別など)を組み合わせたものとして把握されていますが(GINA Sec.201(4) 参照)、日本法がどうなるのかはもちろん今後の法整備次第です。当面は、改正個人情報保護法(平成15法57、平成27法65)不正競争防止法(平成5法47)の営業秘密規定などで対処することになります。

3 まぎらわしい用語の説明

この機会に、まぎらわしい用語の意味を(大雑把にですが)確認しておきましょう。

 

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似たような用語に「DNA」、「ゲノム」、「遺伝子」の3つがあります。これらは、同じように使われることもありますが、一応、それぞれ内容は異なります。

DNA」とは、DeoxyriboNucleic Acid すなわち「デオキシリボ核酸」という高分子生体物質有体物)のことです。したがって、DNAは物理的な実体を指し示す用語であり、法的にDNAの取り扱いが問題となる場面の多くは「試験管」関係だということになります。なお、DNAは、見た目的には試験管の中の白いもやもやしたものです。

これに対して、「ゲノム」や「遺伝子」は、DNAという物質から得られた情報無体物)です。ものすごーく大雑把に言えば、DNAから得られる情報の総体を「ゲノム」と呼び、そのうちタンパク質の合成に関わる情報部分を「遺伝子」と呼びます。言ってみれば、人間の身体はタンパク質の塊でもあるので、その人間を形作る情報という意味では、この「遺伝子」の部分こそ「人間の設計図」といえます。これが「究極の個人情報」と呼ばれる所以です。ゲノム及び遺伝子が、情報という性質を有する以上は、DNAとは異なり、法的には情報の利用に関するすべての場面で問題となり得ます。

それでは~

(以下、脚注)

*1:簡単に言えば、安価な高速ゲノム解析装置である。なお、illumina社の製品が有名である。ここにいう「解析」とは、塩基配列の調査のことであり、それ自体はどこの企業の遺伝子検査を用いても同じ結果となる。もっとも、どの一塩基多型(これを Single Nucleotide Polymorphism, or SNP(スニップ)と呼ぶ)を用いるか、塩基配列にどのような意味づけを与えるのか、などは企業が用いる学術論文の種類・量によって変わってくるため、最終的な検査結果は企業ごとに異なることがありうる。

*2:DeNAの子会社。

*3:現在の遺伝子ビジネスには、遺伝子解析研究の一面があるといえる。なお、東京大学医科学研究所の活動については、磯部哲「遺伝子解析研究・遺伝情報と法」慶應法学18号(2011年)9頁でも触れられている。

*4:DeNAライフサイエンス社の「マイコード」の場合は、illumina社製の次世代シークエンサーを使用し、すべて自社内で検査しているため、遺伝子検査の結果が出るまでの期間が他社と比較してかなり短い。多くの場合は、注文から約2週間で検査結果をウェブ上で閲覧できる。

*5:現在の日本国内の遺伝子ビジネスの概略については、「遺伝子ビジネスで狙う38兆円市場:DeNAも参入!」プレジデント52(20)号(2014年)118頁以下を参照。なお、アメリカの遺伝子ビジネスについては、フランシス・S. コリンズ(矢野真千子訳)『遺伝子医療革命:ゲノム科学がわたしたちを変える』(NHK出版、2011年)が詳しい。遺伝子検査ビジネスの具体的な内容については、宮川剛『「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか』(NHK出版、2011年)132頁以下、古川洋一『変わる遺伝子医療』(ポプラ社、2014年)128頁以下も参照。

*6:木村廣道監『新・医療産業をつくり出すリーダーたちの挑戦』(かんき出版、2014年)1頁以下〔木村廣道〕、甲斐克則編『レクチャー生命倫理と法』(法律文化社、2010年)208頁以下〔瀬戸山晃一〕参照。

*7:このような消費者直販型遺伝子検査そのものを問題視するものとして、ドン・チャーマーズ(新谷一朗・原田香菜訳)「ポストゲノム時代における遺伝情報の規制:オーストラリアのおよび国際的なパースペクティブ」甲斐克則編『ポストゲノム社会と医事法』(信山社、2009年)150頁以下。

*8:APIとは、Application Programming Interface の略称であり、大雑把に言えば、アプリケーションをプログラムするためのインターフェースのことである。お手軽にプログラミングできるソフトウェアのようなものだと思っておけば、さしあたり問題はないだろうと思われる。

*9:23andMeが配布しているAPIは「23andMe API」から取得できる。同ページによれば、“23andMe provides ancestry-related genetic reports and uninterpreted raw genetic data.” とする。なお、現在、23andMeは、アメリカ食品医薬品局から報告書の提出を怠ったという理由によって販売停止命令を受けており、疾患関連の検査をストップしている。

*10:エリック・シュミットほか(土方奈美訳)『How Google Works 私たちの働き方とマネジメント』(日本経済新聞出版社、2014年)120頁は、「23アンドミーはコンシューマー・サービスの会社であると同時に、プラットフォーム的でもある」と指摘する。

*11:デニス・ベンダー(細谷越史訳)「遺伝子テスト―特に労働法と保険法について―」龍谷36巻1号(2003年)319頁は、まさにこのような点を指摘するものである。

*12:たとえば、山本龍彦『遺伝情報の法理論―憲法的視座の構築と応用』(尚学社、2008年)104頁以下参照。なお、ヒト遺伝情報に関する国際宣言5条も参照。また、ドイツの連邦議会審議会答申に見られる規制根拠ついては、甲斐克則「ドイツにおける遺伝情報の法的保護」甲斐克則編『遺伝情報と法政策』(成文堂、2007年)207頁以下を参照。

*13:山本・前掲183頁以下参照。

*14:山下友信ほか『保険法』(有斐閣、第3版補訂版、2015年)261頁以下〔山下友信〕参照。

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