緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

ただの雑記

唐突ですが、あなたが目指している法曹って、どのような人物ですか?

理想とする法曹像は、あなたの価値観からしかわかりません。これは、もっぱらあなたの主観にかかる問題です。私にとって理想であっても、あなたにとって理想ではないということが起こり得ます。

よく考えてみてください。

自分の理想は、どのような法曹でしょうか?

理想とする法曹像は、あなたにしかわかりません。したがって、それを実現するために何を勉強すべきかは、あなた自身にしかわからないのです。さらに言えば、明確な理想像がなければ何を勉強すればよいかさっぱりわからなくなってしまいます

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もう少し詳しくご説明いたしましょう。

上図をご覧ください。まず、一番左には「目指す法曹像」という項目があります。ここには、あなたの抽象的・観念的な目標が入ります。これがすべての出発点です。ここが決まれば、それよりも下層の項目が決まります。ゆえに、下層の項目の展開パターンはひとりずつ異なります。下層になるほど項目が具体化され、最終的には、現実に実行可能なレベルの具体性を伴った「タスク」として、それを自分の人生というか日常生活に設定することになります。これらのタスクをいつやるのかなどは、細分化された具体的なタスク項目の並べ替えないし配列(スケジュール調整)の問題となります。仮に設定したタスクが実行できないとすれば、タスクとしての具体性に欠けているか、あるいは、根っこの理想像の部分が魅力的ではなくて実は自分の理想ではなかったか、あとは自分が怠惰な人間だったかのいずれかです。これらのタスクをすべて実行すれば、論理必然的に「目指す法曹」を実現できます。こういうのを「キャリア・プランニング」とか呼びます。

はい、説明おわりです

……が、多くの学生には、このことが理解できません。現実にこれを実行するのは難しいところもありますし、自らの主観に依拠する理想像というものは、日々流動的です。しかし、この考え方を理解できないというのは、その人にとって深刻な問題です。

いいですか、同じ勉強でも、これをわかってやっているのとそうでないのとではまったく異なるんですよ。どのような勉強をするべきか、試験のために必要な勉強は何か、試験勉強以外の勉強をやるべきか、などがまったくわからなくなってしまいます。こうなってしまうと、自分で判断できません。

理想や目標を持たない人間は、「自ら選択する」ということができません。選択に必要な価値判断の基準を自分では持っていないからです。その場の「感覚」とか「雰囲気」とかによる判断に流されます。要するに、自分の判断を周りの人間に依存するのです。他人から与えられた目標にすがるしかありません。

その最たるものが、「司法試験合格」です。今述べたように、いかなる法曹像を設定するのかは本人次第ですが、幸か不幸か、その下層の項目である「司法試験合格」だけは、法曹を目指す人たちにとって共通の目的です。しかし、これによって試験至上主義者が生まれることになります。本当は「司法試験合格」のための勉強以外もやっておかなければならないはずです。いえ、当の本人は絶対に「やっておかなければならない」とは思わないのです。それはなぜか。自分の思い描く理想像を持っていないからです。その人にとっての理想とは、客観的に見て、他人から与えられた目標である「司法試験合格」しかありません。したがって、ほかに「やっておかなければならないこと」なんて観念できるはずがないのです。

なぜ明確な理想像を持てないのか。それは、考えるのが面倒だからです。

実際、目指すべき理想像の設定はたいへんです。そんな簡単にほいほい出てくるようなものではありません。常日頃から考えることが求められるものです。ですから、多くの人は考えないのです。司法試験勉強だけしていればラクでしょ? 「いや、だって司法試験通らないとどうしようもないし」とか理由にならない理由に逃げたくなったりしていませんか? で、通ったらどうするって? 通ってから考える? 次は二回試験ですよ? え、その後で考える? その後は実務で忙殺されますよ? 実務が終わってから考える? もう死んでます

司法試験合格が重要でないとは言っていません。司法試験合格は理想の法曹を目指す上で必須条件です。資格がないなんて、お話になりません。暗記も過去問検討も答案練習もすべて必要です。その点は、まったく問題ではありません。問題は、何のために勉強をしているのかです。"What" ではなく "Why" の部分です。

目指すべき理想の法曹像の設定は、紙に書いてそれを壁に貼ってやる気を出すような、そんなどうでもいいものではありませんし、法科大学院の入試(ステートメント)で使うためのものでもありません。理想の法曹像があるかないかで、人間性や人生を大きく左右するのです。これは、端的に言って「生き方」の問題です。だからこそ、「キャリア・プランニング(一生にわたる職業活動の計画)」というのです。私個人は、あえてプランニングしないというプランニング(いわゆる「流されるだけの人生」または「他人から支配されるだけの人生」)もありだと思いますが、心の底から本気でそれを望んでいますか?

現実に目を向けると、残念ながら、下図のような学生がたくさんいます。

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…最悪ですね。こんな人が法曹になっても全然魅力を感じませんし、事件を依頼したいと思いません。裁判官や検察官になってほしいとも思いません。一市民の立場から、お断り申し上げます。

このように見られる法曹を目指したければ、どうぞご勝手に。

もし仮にこういう状態になってしまっていて、そこから抜け出したいと感じるのであれば、さしあたりで構いませんから、明確な「理想の法曹像」を描くことをご提案いたします。そこから、それを実現するために具体的に何が必要なのかを考えましょう。

自分はそんな理想的な人物になれないんじゃないかと思われますか? そんなことはありません。その人が何者であるかは必ずしも能力で決まるのではありません。どのような選択をするかです。そして、自分の選択は、自分の意思次第で、よいほうにも悪いほうにも変えることができます。それを忘れないでください。

雑記おわり。

 

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