緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

新論点「共謀の射程」

こんにちは~

今回は、久しぶりに刑法のお話です(※本ブログは刑法専門のブログ)。テーマは「共謀の射程」です。

◆何が問題となっているのか

共同正犯の本質は因果性の相互的補充・拡張及び正犯としての帰責であることから、共同正犯が認められるためには、①共謀(意思連絡及び正犯意思)、②共謀に基づく実行が要件です。

「共謀の射程」の問題は、共同正犯の成立要件②のうち「共謀に基づく」という部分に関するものです(高橋・総論438頁、十河太朗「共謀の射程について」川端博ほか編『理論刑法学の探求③』(成文堂、2010年)76頁参照)。ここでの問題意識は、共謀に基づかない他の共同者の実行行為から生じた結果を客観的に帰責することの不当性に置かれています。たとえば、教室事例で恐縮ですが、AとBが共謀して空き巣に入るような場合、室内を物色している最中にBが突如その家を放火しはじめたとき、Aにその放火の結果まで帰責することは不当ではないかということです。事例問題では、窃盗のつもりだったのに他の共同者が強盗をやってしまった、というような場合が典型です。この問題を錯誤論で解決すればよいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、錯誤論によれば、そもそも共謀に基づかない実行行為によって惹起された結果までも共謀者に帰責してしまうおそれがあるのではないかという点に疑問があるのです。

◆ではどうすればいいのか

通説・判例における共犯全体の処罰根拠は、正犯(共同正犯を含む)を介して因果的に結果を惹起したこと(による行為の危険性の再帰的確証)に求められますから(因果的共犯論/惹起説)、そうすると、共同正犯における共謀(特に意思連絡)という要件は、「因果関係共犯の因果性」の共同正犯における具体的内容であることになります(「絶望の共犯論」最下段参照)。この立場からすると、共謀の範囲外で行われた行為、別の言い方をすれば、共謀と因果関係のない行為までをも、共謀した人に帰責することはできないことになります。要するに、「共謀に基づく」かどうかの問題は共謀と実行行為との間の法的因果関係の問題であり(成瀬幸典「共謀の射程について」刑ジャ44号(2015年)11-12頁参照。これを「心理的因果性」と把握する見解として、橋爪隆「共謀の射程と共犯の錯誤」法教359号(2010年)22頁)、「共謀の射程」は、共謀と法的因果関係を有する「行為」の範囲のことを言っているのです。他方で、このような因果関係による判断方法の不都合性を強調して、「共謀の射程は、過剰結果を惹起した実行行為が当初の共謀とは別の新たな共謀ないし犯意に基づいて行われたといえるかどうかによって決まる」とする見解(十河・前掲98-99頁)もあります。

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で、とりあえず答案(比較的丁寧に書いた場合。一部略記)の書き方の例としては、以下のようなかんじです。

第1 共謀

1 共同正犯の要件・理由〔略〕

2 甲と乙とは、平成〇年〇月〇日午後〇時頃、~を計画〔合意〕し、それを共同して実現する旨の意思連絡を行った(以下「本件共謀」という。)。

3 甲及び乙は、~であるから、本件共謀の際、自己の犯罪を実現する意思をもっていた。〔※この位置で論じにくい場合は、共謀要件全体又は「重要な役割」の要件を、個別の罪責検討の中に移す。正犯意思要件を維持しつつ「後述するように」と書くことも可。〕

第2 甲の罪責

1 甲は、本件共謀に基づき、~を行っているが、この行為に~

〔…〕

したがって、甲の行為には、〇〇罪の共同正犯が成立する。

2 他方で、〔※仮に共謀の射程範囲内だとしても単独正犯の成立を認めれば犯罪事象の評価としては足りるので「本件共謀に基づき」とは書かない(レトリック。書くほうが正しい)。〕甲は、~を行っているが、〔…〕

したがって、甲の行為には、〇〇罪が成立する。

3 罪数

第3 乙の罪責

1 甲は、~〔第2の2の行為〕しているが、この行為は~であり、当初乙と示し合わせた計画にはなく、また、~ということから計画を遂行する際に行われることが客観的に予測されるような行為とは言えない。ゆえに、甲の当該行為は本件共謀に基づいて行われたとは言い難く、乙がその共同正犯としての罪責を負うことはない。

2 次に、〔以下略〕

こんなかんじで書いとけばいいんじゃないでしょうか。

明らかに共謀に基づく場合にはあっさり「共謀に基づき」と書き、共謀に基づかない可能性がある場合には因果関係の有無についての検討を簡単に示します。ここでの検討は、Ⅰ当初の計画に当該行為の明示があるかどうかを指摘したうえで、Ⅱ共謀の時点から見た他の共同者による当該行為の「客観的な」予測可能性を基準にして具体的な事案に適用すればよいのではないかと思います(判断基底論の応用。名古屋高判昭和59年9月11日判時1152号178頁は、問題となる当該行為につき、共謀の対象となった行為に当然随伴するものとして認識・予見し得る範囲内かどうかを基準とする旨のようです)。客観的予測可能性の有無を判断するにあたっては、共謀の時点における全事情を基礎として、犯行の①動機・目的、②日時、③場所、④被害者、⑤行為態様、⑥計画の共通性等を総合考慮することが考えられます。今のところ、特に書き方の決まりのようなものはないので、シンプルな記載でけっこうです。どうでもいいのですが、主観的謀議説に立つと、客観的な謀議行為が存在する時点みたいなものが観念できない場合があるので、共謀の時点っていつになるんでしょうね…

一応、念のために書いておくと、共謀→実行行為→結果まで一連の因果関係が必要ですが、上の答案例を見ればわかるように、実行行為→結果は別のところで検討することになるので、共謀の射程の問題は、共謀→実行行為だけを考えれば(書けば)足ります。「共謀行為と結果惹起との間の因果性」だと把握する立場もありますが(橋爪・前掲21-22頁)、おそらくは結果無価値論・純粋惹起説的な発想によるものと思われます。このあたりは、各自の論理構成に整合する見解を採用してください。

◆補足:錯誤論と部分的犯罪共同説

共犯の錯誤と部分的犯罪共同説の関係ですが、両者は全然違います

錯誤論は何を認識すべきなのかという刑法38条1項の「罪を犯す意思」(故意)の問題であるのに対して、部分的犯罪共同説は何を共同するのかという刑法60条にいう「共同」の対象の問題です。いずれも「構成要件が実質的に重なり合う限度で、軽いほうの犯罪が成立する」という結論の部分は同じなのですが、問題意識や理論的位置づけは、まったく異なるのです。それなので、共謀の射程を論じた後に、理論的に適切な箇所で錯誤論又は部分的犯罪共同説を論じてください。だいたいどちらかを書けばOKです。

そもそもこのような混乱が生じた原因は、共謀も故意も主観的要件のはずだという思い込みから、共謀の内容に故意を含めてしまったことにあります。すなわち、共同の対象は共謀を前提として画定されることになるのですから、突き詰めると、共謀の中身となっている故意の内容を前提として共同の対象が画定されるのだ、という論理になるわけです。ところが、共謀=意思連絡=法的因果関係(心理的因果性)と置くと、共謀は客観的要件に転じるので、論理必然的に共謀要件から故意が放逐され、故意の中身を前提として共同の対象を画定することは不可能になります。ということで、共謀の射程の問題で「法的因果関係」を基準とする場合には、錯誤論と部分的犯罪共同説は完全に分断されるのです。ただし、主観的謀議説と整合するのかどうかは謎です。

それでは~

 

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