緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

自己責任と社会的責任

◆「自己責任」?

こんにちは~

本日のテーマは、「責任」です。

日本人によくみられる言説として、「その人が周りに迷惑をかけたのだからその人が責任を負うべきだ」というものがあります。また、誰かが不利益を受けると「それは自己責任だからしかたない。そんなことで訴訟をするなんて間違っている」とおっしゃられる方もけっこう見かけます。あるいは、「~という選択ができたのだからそうすべきだった」とおっしゃられる方もいます。

総じて日本人は、他人の事件・事故に対して干渉したりコメントしたりして、最後には「自己責任」という理屈で他者を叩きたがります。「他人に迷惑をかけるような人間は責任を問われ、非難されてしかるべきなのだ」という考え方を持っているのです。テロ組織に囚われたジャーナリストの問題から妊娠した女子高生の問題に至るまで、様々な場面でこの理屈が用いられます。

なるほど、「自己責任」というのは、実際そのとおりであることが多いです。しかし、日本人が「自己責任」という言葉を用いる場合、ほぼ100%間違った使い方がなされます。

これまで自分や周りの人たちがやってきたことを振り返って、よく考えてみてください。本当に自己責任なら、なぜ第三者がその人に対して非難めいたコメントをするのですか? だって本人の問題なのでしょう? 第三者が口出しすることではないはずじゃないですか?

口出しすることによって、

おまえ何様だよ It's none of your business

と思われるようなことはないと、本気でそう思うのですか?

◆社会的責任は例外的

実は、彼・彼女らの言っている「自己責任」とは、自己責任でもなんでもなく、社会的責任なのです。すなわち、そこで指摘されている「自己責任」とは、「自己(が社会に対して負う)責任」なのです。「自分の権利ばかり主張して義務を果たさない」という意味不明な論理も、その「義務」の相手方を「社会」であると考えれば理解できます。やはり、ここでも「個人が社会に対して負う責任」のことを言っているのです。このような考え方に立てば、「社会」には自分が含まれている(はず)ですから、「社会=自分に迷惑をかけたのだから、その人を非難してかまわないのだ」という論理になるわけです。

しかしながら、そもそも「自己責任」とは、自分の利益を考えて意思決定したことに対して自分が責任を負うということです。これに対して、「社会的責任」とは、社会的利益(公益)を考えて意思決定したことに対して自分が責任を負うということです。おそるべきことに、日本社会では、社会的責任のことを「自己責任」と呼んでいる人たちがいるということです。

自由主義社会では、その人が公務員であるなど公益性が非常に強いと認められる特段の事情でもない限り、社会的責任を負うことはありえません。たとえば、企業の社会的責任(CSRは、企業活動が大規模になるからこそ生じるのです。弁護士の「公共的役割」なるものも、弁護士に対し法律事務について市場の独占を認めるからこそ生じるのです。しかも、このように社会的責任を認める場合であっても、利害関係人(ステークホルダー)を特定したうえで、個別具体的に責任の有無を検討することが要請されるのです。たとえば、企業のCSRレポートをご覧になったことがある方ならご存じでしょうが、そこでは、株主、会社債権者、従業員、地域コミュニティなどの利害関係人が細かく特定され、各利害関係人に対していかなる貢献が期待されるかが検討されています。社会的責任なるものを肯定するのであれば、そこまで詳細に分析して検討しなくてはならないのです。そんな簡単にほいほい社会的責任が認められるわけがありません。繰り返しますが、日本は自由主義の国であり、原則論としては「周り」に迷惑をかけているかどうかなんて気にしなくてよいのです。

◆刑法では…

で、なんで刑法ブログでこういう話をするのかというと、精神に障害があったり未成年者だったりして責任無能力者として罪に問えないことを憤慨する人たちは、以上のことを根本的に理解していないからです。この機会に自分の頭の中にある「責任」の定義を考え直してください。「周りに迷惑をかけたこと」を「責任」と呼ぶのであれば、「やつらの責任を問うべきだ! なんで処罰されないんだ!」という論理になるのは当然でしょう。そもそも「責任」が何なのかを捉え違えているから、そういう発想になるのです。しかし、刑法における責任は、社会に対する道義的責任ではなく、法律によって保護される生活利益を守ることに対する責任です。法益の保護にとって無意味であるならばその人に対する処罰は不要ですし、そもそも規範意識を形成できない人を処罰しても意味がありません。また、道義的責任ではない以上、他の目的から政策的に責任を問わないということも可能です。

日本国は、社会主義の国ではなく、自由主義の国です。自分さえよければ「周り」なんかどうでもいいのです。もっと自分を大切にしてあげてください。他方で、そんな勝手なことをされたら周りに迷惑だ!とおっしゃられるのはわからないではないですが、迷惑だと感じるのであれば、そう感じた当の本人(当事者)が対処すればよいだけの話で、あなたが考えるべきことではありません。相手方当事者に適法・妥当な措置(訴訟に限られない)をとられ、それによって本人が不利益を受けるのであれば、それこそ本来の意味での「自己責任」です。そういうリーガル・リスクを負いたくないのであれば、そういう意思決定をしなければよいのです。そして、具体的な事案において意思決定をするかどうかは当事者が決めることであり、第三者が決めることではありません。それでもなお社会が混乱するとおっしゃるのであれば、どうぞ、憲法の枠の中において国会等で議論してください。

それではまた~

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