緋色の7年間

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刑事手続の基本設計

今回は、刑事手続の基本設計について見てみましょう。

刑事手続の基本設計は「公判手続」(刑事裁判)を中核として展開されます。この公判手続を「なぜこの人は罪を犯したのか」などといった「実体的真実の発見」のためにあるものと考えると、裁判所(多くは予審判事)は、職権により、その補助機関となる司法警察に真実発見を命じるというトップダウンの構造をとることになります。この際に用いられるのが「命令状」であり、命令状が出されると捜査機関は「強制処分」の権限を譲り受けることになります。裁判所から権限を移譲された司法警察は、その権限の効力が及ぶ範囲で強制処分を駆使して証拠収集の任にあたることになり、その報告書(一件記録)を裁判所に渡すということになります。「公判」を起点として、その延長線に「捜査」が設計されるわけです。これが「糾問主義」的な刑事手続のデザインです。「糾問」というのは、裁判所が主体的に罪を問い糾すという意味です。f:id:takenokorsi:20180331220937p:plain

しかし、このような糾問主義は、歴史上、多くの人権侵害を引き起こしてしまいました。真実を発見するためならば、拷問をも厭わないようなこともあったのです。そこで、被害者やその遺族などの私人による犯罪の「弾劾」という手続がなければ、刑事手続が進まないような仕組みにしたのです(不告不理の原則)。「弾劾」というのは、犯罪を裁いてくれと司法関係者でない者が告発することを意味します。要するに、起訴/訴追/公訴提起のことです。こうすることで、裁判所を真相解明に対する積極的立場から遠ざけて審判の地位に専従させることができます。受動的な立場なら無理なことはしないだろうし、むしろ批判的に検討できるだろうという考慮です。こうして、「弾劾主義」と呼ばれるボトムアップの仕組みがデザインされることになります。ここでは、公判と捜査の間に決定的な断絶があります。

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しかし、私人による弾劾は実際上困難です。なぜならば、都市化され、匿名化された社会では、私人による証拠収集は不可能に近いからです。誰が犯行を目撃したかなんてわかりませんし、目撃した人も犯人がいったいどこの誰なのかわかりません。したがって、専門的に証拠収集活動を担う警察組織が必要になります。私人は警察に対して弾劾の役割を移譲することになるのです。なお、警察組織が軍隊的ピラミッド構造なのは、警察のもともとの役割とは関係がありません。あのような構造になっているのは犯罪の予防・鎮圧活動のための機動性確保という要請に基づくものであって、証拠収集活動の要請からではないのです。

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とはいえ、警察を私人の代理人のように考えて広い裁量を持たせるのは色々な意味で危険です。被害者のことやこれまでの尽力を思えば、訴追しないという選択肢はなくなってしまいます。そうすると、警察内部で健全なチェック機能が働かなくなってしまうのです。そこで、捜査機関から訴追機関を分離し、点「検」の過程をワンクッション挟むことにしました。これが国家訴追主義起訴独占主義であり、「検察」という仕組みです。弾劾の中心的役割を検察官個人に移したのです。また、捜査機関が広い裁量により熱心に捜査しすぎると弊害がありますから、公判とは全く別の話として第三者機関である司法にいったん確認させるという手続を踏ませ、その裁量を縮減させることにしたのです。これを「令状主義」と呼びます。ネーミングが紛らわしいですが、「令状」というのは「命令状」ではなく「許可状」ないし「確認証」のことです。極論すると、緊急時は令状がなくても例外的に捜査できることになります。なぜならば、捜査機関は、裁判所の授権なくして捜査できる権限を持っているはずだからです。

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以上のように、刑事手続の基本設計がなされることになります。

そして、日本の憲法とは、以下のように対応します。

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注意してほしいところは、いわゆる「弾劾的捜査観」ではないというところです。弾劾的捜査観は、捜査をあいかわらず公判の延長としてとらえる立場であり、公判と捜査の間に断絶があることを考慮していません。端的に言って、弾劾的捜査観は弾劾主義と相容れません。ここを間違えると、捜査と公判の境界は不明瞭になってしまい、公判段階で被告人取り調べを認めるなどの「逆流」が生じてしまいかねません。また、本来は公判段階でしか適用されないはずの無罪推定原則や自己負罪拒否特権が捜査段階で適用されるという意味不明な帰結を導くことになってしまいかねません。捜査と公判とでは、各段階を規律する理念がまったく異なることに注意を要します。捜査は捜査で固有の利益状況の分析が必要ということなのです。

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