緋色の7年間

法現象を綴ったもの。

とてもよく見かける実際のマネジメントの問題について

「個の集合」と「組織」を分けるもの

実務上ほぼ確立された見方だと思っていますが、「優秀な個の集合」と「生産的な組織」とを分けるものは、明確なレポートラインや会議体の設計などの仕組み化を中心としたマネジメントの巧拙か、あるいは価値観の統一的な偏り (典型的には、MVV) です。個のレベルで見れば、目の前の具体的な課題だけにコミットしているか、目に見えない全体像や抽象的な価値にコミットしているかの違いです。この記事では MVV でないほう、マネジメントの話をします。

マネジメントは学生時代のサークルで経験しておいたほうがよいという話

自分がマネジメントする立場になってはじめてわかることのひとつに、「どうして部下は自分を助けてくれないんだ?」という実感があります。わたしにもありました。学生時代のサークル活動などでも経験できます。早めに経験しておいたほうがいいですよ。年齢を重ねてから仕事で経験すると致命傷になりかねません。ほんと、自分はこんなに困っているのになんでこいつらは助けてくれないんだ?と思うことになります。その疑問に対する答えは、「部下を助けるのがおまえの仕事だ、このマヌケ!」です。

さて、自分を振り返ってみても思いますが、こういう状況に陥ったときに、マネージャー本人としてはやるべきことをやっていたといえるでしょうか? マネジメントが何かわかっていたでしょうか? わたしは当時わかっていませんでした。だって部下って上司を押し上げるものでしょ? ……しかし、それは「無能な上司がついた場合の部下のやるべきこと」の話でした。こうなったらマネージャーとしてはおわりです。

考え方が根本的に間違っているのです。マネージャーはプレイヤー(その多くは部下)が実際に仕事をできるようにさせ、組織全体の生産性を高めて成果を出すことが仕事です。プレイヤーとして仕事をしていたときと比較して、一段階、抽象度の高いメタな仕事になってきます。関心が自分にしか向かっていない時点で全然ダメです。マネージャー自身が活躍するということは、サッカーの試合で監督がフィールド上に出てきて自分でボールを蹴ってゴールを決める程度に間違っています。ルール違反とかそういう話ではなく、自分の役割をまるで理解していないということです。高校野球のマネージャーを例に引いても結構ですが、自分で打席に立たないですよね? むしろ雑用に近いことをやっていませんか? 打席に立つ人を支援していませんか?

そういうわけで、マネージャーやそれに相当する立場になった場合には、自分を輝かせるのではなく、他人を(さらに言えば組織全体を)輝かせることが仕事です。「どうして部下は自分を助けてくれないんだ?」と思ったら、それはマネジメントを理解し、実行できていないことの証左です。正しい認識は「部下を十分に活躍させられていない私のやり方やばい」です。自分がマネジメントをするということは決して誰も助けてくれないことを意味します(だからこそ経営層は孤独を感じて不安になってコンサルに無駄に高いカネを払ったり経営層コミュニティをつくったり同業他社のやっていることを過剰に気にしたりするわけですが…)。目の前の仕事をこなしていくら経験を積んだところでマネジメント経験はそれとはまったく別次元です。それゆえ、年齢を重ねてもマネジメントスキルはまったく習得できず、いざマネジメントする立場になると大失敗することになります。ですから、そういう失敗は傷が浅くて済む学生の時にやっておこうね、という話になります。いや、今でも傷が癒えないんですけどね。少なくとも知識は入れておくべきでしょう。

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(マイケル・E・ガーバー『コミック版 はじめの一歩を踏み出そう』(世界文化社、2013年)44-45頁より引用。起業の状況では、プレイヤー=職人、マネージャーだけではなく、起業家の視点も要求される。)

マネージャーとプレイヤーの考え方の違い

重要なことは「プレイヤーのように考えているうちはどれだけ能力が高くとも絶対に組織の上に立ってはならない」ということです。本人も含めて誰も幸せにならないからです。「ケーキを作りたい人はケーキ屋を経営してはいけない」し、「弁護士業をやりたい人は法律事務所を経営してはいけない」という話です。階層のないフラットな分散型組織にしたい場合には組織マネジメントは不要であって、専らプレイヤーでも支障はありませんが、ひとつでも階層がある場合においては、マネージャー的な人物ではなくプレイヤー的な人物が上位階層に立ってしまうと、そこがボトルネックになってしまい、組織の生産性は大幅に低下します。プレイヤーとして優秀であればあるほどその点が問題点として認識されにくくなり、組織にとって破壊的となりやすいです。現場の営業成績ナンバーワンの人物をマネージャーに昇格させたものの組織として成果を出せないケースはしばしば耳にするところです。

これは、プレイヤーとマネージャーのどちらが優れているかという話ではなく、要求されるマインドセットやスキルセットがまったく異なるという話です。しかし、そうであるにもかかわらず、わりと多くの組織ではキャリア設計としてプレイヤーからマネージャーへのレールが敷かれているのが現状です。こうなると、その立場になってしまったら最後、劇的な発想の転換を行うしかありません。

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(マイケル・E・ガーバー・前掲50-51頁より引用。「起業家」も「マネージャー」も地位ではなく機能でしかないので、自分の性格と合わないならさっさと辞めたほうがいいが…)

自分がうまくやり遂げて心から喜ぶのがプレイヤーであり、部下がうまくやり遂げて心から喜ぶのがマネージャーです。できるプレイヤーは雑務を「生産性を低下させるもの」として嫌いますが、できるマネージャーは雑務を「生産性を高めるもの」として自ら引き受けます。ちなみに、この「雑務」には最近このブログでとりあげているITツールの導入も含まれてきます。

よくないマネージャーは具体的なように見えてしかし曖昧なタスクをプレイヤーにアサインします。これに対して、よいマネージャーは抽象的でありながら明確な課題認識と目的をもったミッションをプレイヤーにアサインします。もちろん、世の中には具体化しないと理解できない人たちが大勢いるので、プレイヤーのレベルに応じてアサインする仕事の抽象度は下げなくてはなりません。よくないマネージャーはプレイヤーをよく見ませんが、よいマネージャーはプレイヤーの性格、思考、行動について自ら詳細に情報を収集します。相手に負担をかけずに細かく情報を収集するだけで細かく干渉するわけではないので、「マイクロマネジメント」と呼ばれるおよそマネジメントとは呼べないものではありません。よくないマネージャーはプレイヤーに仕事をアサインすればその分自分の仕事が減ってラクになると考えますが、よいマネージャーはプレイヤーに仕事をアサインすれば自分がやらなければいけない仕事が新たに生まれることを知っています。よくないマネージャーは成果物の品質だけを確認しますが、よいマネージャーは成果物の生産プロセスに着目します。マネージャーの問題関心はプレイヤーの障害を除去して組織全体の生産性を向上させて成果を上げることなので、プレイングの過程やプレイヤー本人に関心を持たない人間はマネージャーとして不適格です。

 

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