緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

MVV が役に立たないと思っている人たちへ

MVV を軽視すると組織は崩壊する

以前にご説明したとおり、組織として成果をあげられるかどうかは、価値観の統一的な偏りか仕組み化をはじめとするマネジメントにかかってきます。今回は「価値観の統一的な偏り」のほうをとりあげます。典型的には Mission Vision Value, or MVV と呼ばれる統一的価値序列です。ところが、実はスタートアップ企業の中でさえ、こういった理念めいたものに実益がないと考えている人たちがそれなりにいるのです。ただ、わたしは MVV を軽視する組織は類型的に崩壊する危険性が高いと考えています。

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MVV とは何か

最初に MVV とは何かを押さえておきます。

MVV は、論理的順序の問題は一応ありますが、Mission Vision Value の略語です。

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まず、ビジョン Vision とは、ビジネスによって目的的に又は結果的に到達する政治的価値判断を含んだ世界観のことです。目的論より結果論のほうが実例が多いかもしれません。世界観自体が好ましいかどうかは個人の趣味嗜好・価値観・政治観に大きく依存します。たとえば、Google のビジョンは「ワンクリックで世界中の情報へのアクセスを提供すること」、それが可能になっている世界です。

ビジョンの存在意義は、ビジネスの究極的な目的の設定と、それによる権限と裁量の実質的な降下です。現場担当者に対してビジネス判断を左右する根本的な基準を経営判断を待つまでもなく提供するのです。ビジョンの否定は、いかなるものであれ、そのビジネス自体の否定とほぼ同義であり、これなしでビジネスはできないとさえいえます。

次にミッション Misssion とは、ビジョンという世界観を達成するために忠誠を誓う対象としての仕事のことです。企業によっては、ビジョンはあくまでも結果であり、意識レベルではミッションのほうに重きが置かれているケースもあるかもしれません。遠い将来の世界線というよりも現在の崇高な仕事像というイメージです。たとえば、Google の場合は、「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」です。Google の経営者及び従業員は、抽象的にいえば、これを仕事にしているわけです。

ミッションの存在意義は、忠誠を誓う対象を具体的な人間から切り離すことです。上司や顧客といった目の前の具体的な人間に忠を尽くさせるのではなく、抽象的な任務に忠を尽くさせるということです。ともすれば目の前の人間こそ大切にしたいと思ってしまいがちですが、目の前の人間が利害関係者のすべてではありません。ニーズを帰納的にまとめあげたサービスが真に世の中の役に立つかと言えば、そんなことはありません。現状維持バイアスや生身の人間の恣意的な意向から逃れるためにミッションという形でコミットすべき対象を設定するわけです。

最後に、バリュー Value とは、「実際に共有している」行動原理や行動の指針となる価値のことです。このような原理・価値を設定して言語化する理由は、役員や従業員の間の利害衝突を生じさせないためです。厳密にいえば、言語化はしなくてもその集団で共有されていれば集団はまとまります。ところが、現代社会はパブリックな場では多様な価値観が肯定されるため、これをそのまま企業組織に持ち込むと意思決定の際に暗礁に乗り上げるなど収拾がつかなくなります。民主主義的な多数決原理が現実に機能しないことを思い浮かべれば明らかです。つまり、バリューは価値観の異なる人間をその集団から徹底的に排除するための装置として機能します。具体的には、採用や人事評価の中に反映されます。最終的には組織文化となるものです。

こうして、組織として MVV を持っていることにより、目的意識を持ち仕事に熱心に取り組む価値観のあった役員や従業員と仕事をすることができるようになります。逆に、MVV を持っていなければ、組織がどこに向かっているかわからない中で目の前の上司や顧客の言いなりになって仲間と衝突しながら仕事をするようになる危険性は飛躍的に高まります。MVV を持っていても行動レベルで信じていなければ同じです。本気で信じているかどうかがすべてです。わりと簡単な図式だと思いますが、それでも MVV に実益がないと言いますか?

そこそこ優秀な人たちは、「自分は教祖になるつもりはない」、「旧日本軍は精神論で負けた」、「数字のほうが大切だ」等々とおっしゃられるわけですが、ポイントがずれています。価値観に偏りがなければ必然的にワンマンの恣意的なトップダウンになるだけの話ですし、旧日本軍が負けたのは精神論が理由ではありませんし(むしろ全体的なグランドデザインを欠いたことがあげられますし)、数字のほうが大切だというのはまさにバリューに該当しうる価値原理です。これらは MVV の設定を拒否する理由にはなりません。

ものすごく大雑把に言えば、MVV は、価値観やコンテクストを共有しているほうが仕事がしやすいという以上の意味はありません。もちろん、消極的な活用だけではなく積極的な活用も視野に入れれば、そのビジネスに顧客を惹きつける個性を出すことができたりします。MBA 的な方法はマネジメント論の話で、それはそれで重要なのですが、それだけでやっていると個性がなくなり、結果的に大衆雑誌のような統一性のない雑多な機能を寄せ集めただけのサービスに堕します。別の人が同じ方法を使って同じことができるのであれば、それはサイエンスではあるかもしれませんが、アートとしての個性豊かなビジネスには絶対につながりません。使い分けは意識すべきでしょう。

スタートアップ企業を中心に MVV が採用される理由

スタートアップ界隈の人たちが意識高いうぇーいな人たちで占められているから、ではありません。全然違います。そういうやつもいるけど。むしろ、スタートアップ企業は MVV を採用せざるを得ないといったほうが実態として正しいかもしれません。というのも、スタートアップの最大の問題はリソース不足で、結果的に目の前の課題の処理に追われてマネジメントの余裕がないからです。つまり、MVV はマネジメント不全の際の保険として機能します。

理論上は MVV がなくともマネジメントさえうまくできていれば成果をあげることができます。あえて MVV にこだわる理由はありません。そういう中で MVV が持ち出されるのには2つの理由があります。

ひとつは、スタートアップ企業は初期段階で組織体制を「固めてはいけない」からです。なぜ固めてはいけないのかといえば、組織体制というのはそもそも効率的に成果を再現する仕組みのことだからです。つまり、大前提として、市場で売れるサービス(プロダクト)として完成されていなければなりません。Product-Market Fit, or PMF と呼ばれる条件を満たしてはじめてスケールのための体制を固められるということですが、スタートアップはまさにこの PMF こそ至上命題のようなものなので、組織体制を確立すべき段階よりも遥か以前の状態にあるわけです。言い換えれば、組織体制がない状態(あるいは具体的な指示のない状態)でメンバー全員が同じ方向を向いて動かなくてはなりません。そこで、MVV が持ち出されます。

もうひとつは、ビジネスとともに組織が急激にスケールした際にマネジメントが確実に崩壊するからです。仮に PMF を無事に終えてグロースフェーズに突入したとしても、マネージャーがハンドリングできるスピードを超えて成長していくと必然的に組織は崩壊します。具体的な仕組みの具体的な組み換えが多発してメンバーの認知や判断が追いつかないからです。あるいは、マネージャークラスでタスクがスタックしてしまい、情報や判断が降りてこない状態に陥ります。MVV は抽象的な原理の形をとることにより、メンバーの自律的判断を可能にさせ、この問題を大幅に軽減することができます。もし MVV がない状態で急激にスケールさせれば、結果的に不満が蓄積して空中分解という現象が生じます。退職者を出し続け、かろうじて残った「価値観が選別されたメンバー」で再起を図ることができればよいほうです。もっとも、その場合でも同様の壁にぶつかって再び崩壊する可能性は残ります。これはスタートアップビジネスに限らずスモールビジネスでも起こりますが、スタートアップのほうが急激に拡大するため崩壊の危険も相対的に高まるといえます。 

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まとめ

以上のように、MVV は本当に大切です。本当に。

 

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