緋色の7年間

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誤認逮捕って違法なの?

※大阪地裁平成27年6月15日判決(国家賠償請求事件)を踏まえて記事最下段に追記しました。

※あくまでも刑事法の学習をテーマとしたブログなので、現実の社会問題の解決に関しては、弁護士や刑事訴訟法学者などの専門家の判断を尊重するようにお願いいたします。このブログは、何らの具体的な問題解決指針を提供するものではありませんので、その旨、あらかじめご了承ください。

こんにちは~

本日は「誤認逮捕って違法なの?」という疑問に答えていこうと思います。

結論から申し上げますと、誤認逮捕は違法ではありません。また、冤罪とは「無実であるにもかかわらず有罪判決を受けた場合」のことを言いますから、いまだ有罪判決を受けていない誤認逮捕は冤罪にもあたりません。

はい、おわりです。

…いやいや、そんなの納得できませんよね?! どう考えても誤認逮捕は問題です。健全な感覚からすると問題に感じるはずです。しかし、誤認逮捕は違法ではありません。実務的にはそうやって運用されています。誤認逮捕があると警察は謝罪しますが、理屈から言えば誤認逮捕は完璧に適法なので、本来は謝罪の必要もありません(道徳的にそうしているのでしょう)

しかし、そもそも誤認逮捕が違法でないというのは、何かがおかしい気がします。誤認逮捕が違法でないとしても、制度的には何か問題があるはずです。それでは、どこに問題があるのでしょうか?

◆逮捕の要件

まずは逮捕について基本を押さえておきましょう。

警察等の捜査機関が被疑者を逮捕するためには、一定の条件を満たさなくてはなりません。これを「逮捕の要件」と言いますが、それは、原則として、以下のような条件になっています。

  1. 被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由
  2. 被疑者を逮捕する必要性
  3. 逮捕令状の発付

逮捕の要件は、基本的にはこの3つです刑事訴訟法199条、刑事訴訟規則143条の3、憲法33条等)。後述しますが、現行犯逮捕などでは、これらの要件に修正が加わります。

まず、①の逮捕の相当理由は、その人が犯罪を行ったんじゃないかなあ英米法でいう more likely than not )と思えることです。もちろんそれなりの証拠は必要ですが、その人が犯人である可能性がそうでない可能性を上回れば「相当な理由」があると言えるのです。つまり、この段階では、合理的な疑いをはさまない程度の証明(beyond a reasonable doubt)までは不要です。本当に誤解が多いですが、捜査段階で「疑わしきは被告人の利益に」の原則の適用はありません。そもそも真犯人に限った逮捕は要求されていないのです。被疑者を犯人だと確証できたから逮捕するのではなく、被疑者が犯人であることを確証するために逮捕するのです。この点で、「被疑者が犯人だと確証できないから逮捕しない」というのは意味不明な論理だと言えます。被疑者が犯人であるとの確証がなくとも、被疑者が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があるのであれば、むしろ積極的に被疑者を逮捕すべきであり、その身柄拘束の間に捜査を尽くして、被疑者が犯人でないとわかった時点でさっさと解放するべきでしょう。解放された本人からすると「なんで真犯人じゃない私を逮捕したんだ!」と思うかもしれませんが、逮捕の相当理由を要件とする以上は、これを「誤認」と呼ぶかどうかはともかくとして、制度設計として真犯人以外の者の逮捕は当然に予定されています。「誤認逮捕」のリスクは、いわば治安維持のために私たちに課された公正・平等な負担なのです。もっとも、後述するように、この「負担」が大きすぎるのではないかという別の問題はあります。

次に、②の逮捕の必要性とは、たとえば、犯罪の証拠隠滅のおそれがあったり、逃亡のおそれがあったりすることです。そもそも逮捕は、こういったことを予防するために行うのであって、悪いことをしたから逮捕されるわけではありません。さらに言えば、犯人を取り調べるために逮捕するのでもありません。ここも誤解が非常に多いところです。刑事ドラマのようなイメージを持つのはやめてください。逮捕制度は、被疑者が証拠を隠滅したりして捜査の邪魔をしないようにさせるための制度です。この身柄拘束期間中に、捜査機関は、被疑者が本当に犯人であるかどうかを判断するために捜索・差押えなどを行うのです。この点、刑事ドラマではこれがまったく逆で、主人公が真犯人だとわかった人物を追い詰めて、最後に逮捕して一件落着、という何のために逮捕するのかよくわからない倒錯したストーリーになっています。

以上のように、その人が逮捕されたからといって、犯罪を行ったわけではない場合が十分にありうるのです。①相当理由と②必要性を合わせて逮捕の実体要件と呼びますが、実体要件を具備したからといって、犯罪が立証されているわけではまったくありません。また、たとえ真犯人であったとしても、逮捕の実体要件が充足されない限り、逮捕できませんし、その必要がありません(だからこそ、俗に言う「在宅起訴」という制度があるわけです)。

実体要件に加えて要求されるのが、③令状発付という手続要件です。実体要件の判断は第一次的には捜査機関が行いますが、捜査機関が実体要件を緩やかに認定したり、あとからごまかしたりするかもしれないので、裁判所が、実体要件が本当に備わっているのかどうかを事前に審査するわけです(令状主義後知恵の危険の防止)。ただ、逮捕の段階では、裁判所は実体要件をざっくり審査するだけなので刑事訴訟法199条2項但書参照)、令状が発付されたからといって犯罪の疑いが強いというわけではありませんし、まして令状の発付によって犯罪の疑いが濃くなるなどといったことはありえません。

◆「誤認逮捕問題」が生まれる構造

ここからが重要なところですが、では、なぜ誤認逮捕が問題となるのでしょうか?

それは、日本の捜査機関(警察)が極めて精密に捜査しているからなのです。皮肉なことですが、捜査機関が犯人を正確に逮捕すればするほど、誤認逮捕が問題になります。

先ほど説明しました「逮捕の相当理由」ですが、本来は非常に緩やかに認められるものなのです。本家の英米では、簡単に相当理由が認められてささっと逮捕されます。そして、ささっと取り調べられて、ささっと解放されます。スピード重視の捜査である反面、けっこうアバウトなのです。そうすると、英米では、「逮捕された人=犯人」という認識は薄くなります。犯人以外の人もたくさん逮捕されていますから、逮捕されたからといって必ずしも犯人だとは思われないわけです。これは、英米のマスメディアの認識においても同様であり、たとえば、イギリスの新聞では、被疑者逮捕をとりあげる記事なんてほとんど見かけません。

それでは、日本ではどうでしょうか?

実は、日本の法運用では、「逮捕の相当理由」が比較的厳格に理解されています。裁判例によれば、逮捕の相当理由とは、被疑者が当該犯罪を犯したことを相当高度に是認し得る嫌疑があると認められることをいうとされています(東京地判平成16年3月17日判時1852号69頁)。つまり、日本の警察は、それを基礎づけられるほどに十分な証拠がそろわないと逮捕しないわけです。言い方を変えれば、日本の警察は「被疑者が犯人であることをほとんど確証できた場合に逮捕する」という逮捕制度としては倒錯した論理に基づいて制度運用を行うことになります(この意味では、刑事ドラマのイメージもまったく間違っているというわけではないかもしれません)。「真犯人しか逮捕しないぞ!」という考え方ですから、これはこれで人権保障を図る考え方になっていますので、ある意味では、日本の警察の誇るべきところではあるかもしれません。

しかしながら、このことが、かえって誤認逮捕を問題にしているのです。とりわけ、日本のマスメディアの認識では、「逮捕された人=犯人」となり、逮捕の時点で、事実上、犯人として報道されることになります。「疑わしきは被告人の利益に」の原則(厳密に言えば、無罪推定原則)をマスメディアにも適用しようとする見解もありますが、それは以上のような逮捕の基本的な論理と制度運用の実態を見落としています(なお、「疑わしきは被告人の利益に、無罪推定、推定無罪?」も参照)。また、無罪推定原則は、「予断排除」とはまったく異なります。これを「予断排除」と誤って解釈すると、裁判官は人付き合いを避けて、官舎にひきこもることになりかねません。そうではなくて、無罪推定原則は、裁判官に予断があることを前提に、公判において検察官にゼロから犯罪を証明させる原則なのです。したがって、無罪推定原則を公判以前の捜査の段階、しかも捜査に関与していない私人に対して適用しようという考え方は、論理としてなかなか採用しにくいわけです。むしろ、端的に、被疑者(必ずしも犯人ではない)のプライバシーマスメディアの報道の自由とが衝突する場面だと捉えたほうがよいでしょう。「疑わしきは被告人の利益に」や「無罪推定原則」、「予断排除」などと言い出すと、この問題をかえってややこしくしてしまいます。

ずっと俺のターン? ― 永久勾留コンボ

上に見たような「誤認逮捕問題」は、被疑者のプライバシーと報道の自由が衝突することだけに解消されるわけではありません。ここから長期勾留の問題を引き起こします。どういうことでしょうか?

日本の捜査機関は「優秀」なので、逮捕した場合に、その人が犯人である確率が高いということを説明しました。というより、日本の捜査機関は、被疑者が犯人であることを確信しないとなかなか逮捕しません。裁判例で「相当高度に是認し得る嫌疑」が要求されているのですから、捜査機関としては、どうしたって逮捕に慎重になってしまいます。そうすると、被疑者を(ついに!)逮捕した場合には、心理的に被疑者を解放できなくなります。なぜならば、捜査機関もマスメディアも私たちも被疑者=犯人だと思っているからです。誰もが被疑者=犯人を野放しにできないと思い込みます。また、別の角度から考えると、犯人なら長期勾留を許されてもいいという発想につながるということにもなりかねません。これは、非常に深刻な問題です。

もちろん、捜査機関も、裁判所も、建前上は合法的な身柄拘束手法をとります。それは次のようなものです。

逮捕から勾留期限(一度の延長込)が切れるまでは基本的に23日間の身柄拘束です刑事訴訟法203条~208条)。ここで考えてもらいたいのですが、1か月近く身柄を拘束されること自体がたいへんな負担ではないでしょうか。その間、会社や学校はどうするのでしょうか? 仮に逮捕された人が社長だったら? その人の人生だけでなく、その人の周辺の人々にもすさまじい影響を与えてしまいます。想像してほしいところですが、あなたが23日間拘束されていたらどういう影響がありますか? ここで忘れてはならないのが、理論的には、犯人でなくとも逮捕・勾留は比較的簡単にできるということです。そうすると、私たちが引き受けるべき「負担」としては、ちょっと身柄拘束期間が長すぎないでしょうか?

決定的には、次のことが問題です。それでは、その23日目が終わりそうになり、有罪にできるだけの証拠が集まらなかったら捜査機関はどうするか。別件で逮捕すればいいわけです。そうすれば、また23日が捜査機関に与えられます。議論はありますが、別件逮捕自体は誤った考え方ではありません(別件基準説)。別件につき、前述した逮捕の実体要件を具備する以上は、逮捕して構わないですし、そうすべきだからです。別件の令状の発付を担当する裁判官としても、本件で取り調べる捜査機関の意図を見抜くことは事実上不可能です(本件で取り調べる意図の見抜き方について、具体的な説明が載っている専門書や実務書は見たことがありません)。そもそも、ここで問題とされている権利・利益は黙秘権供述の自由憲法38条)ではなく被疑者の行動の自由・プライバシー憲法33条)ですし、逮捕令状は「取調許可状」ではないことから、取調べ自体は、身柄拘束期間中かどうかにかかわらず、それが「任意である限り」無制限に行うことができます刑事訴訟法198条1項、197条1項本文)。令状による「強制取調べ」というものを観念しえない以上、供述義務(取調受忍義務)も観念できなければ、令状主義の潜脱も観念できず、余罪取調べの限界といったものも観念できません。ここで問題とされているのは、あくまでも逮捕を根拠とした身柄拘束(出頭・滞留義務)です。そして、学説における別件基準説は、身柄拘束期間について、既に発覚している「関連する犯罪」についてもまとめて23日をカウントするという考え方ですが、実務ではそうではありません。細かい事件(個別の被疑事実)ごとに23日をカウントするのです(実務上の事件単位原則。川出敏裕『判例講座刑事訴訟法〔捜査・証拠篇〕』(立花書房、2016年)68頁以下参照)。ここが問題の核心です。

要するに、細かい関連犯罪の容疑であればいくらでも作ることができますから、逮捕→23日間→別件逮捕→23日間→別件逮捕→23日間→…という、いわば永久勾留が完成するわけです(※実際には、ここまで単純ではありません)。過去には、300日を超える身柄拘束が行われていたりしますから、おそろしいことです。本当に犯人だったのであれば世間はスルーしますが、誤認逮捕だったときの影響は計り知れません。だからこそマスメディアや捜査機関は「誤認逮捕のほうを」問題にするわけです。ですが、実際に問題とされるべきなのは誤認逮捕ではなく、捜査実務の誤った法解釈から生じる長期の身柄拘束なのです。私たちが引き受けなければならない「負担」の中身こそが問題とされるべきです。いくら重大な犯罪の捜査のためであっても、23日を超える身柄拘束は、一般市民が受忍すべき「負担」として到底許容できるようなものではありません。そもそも、23日でも長いくらいです。日弁連は、長期の身柄拘束に対してかなり批判をしていますが、いまだ制度運用の改善の兆しは見えません。もはや、立法をもって解決するほかないように思われます。

◆現行犯逮捕による冤罪問題

問題は、まだあります。現行犯逮捕による冤罪です。これも捜査実務の法解釈が原因で生じています。

本記事の冒頭で逮捕の要件をあげましたが、現行犯逮捕では、これが修正されます。そして、その修正の仕方というか考え方に誤りがあるのです。しかも厄介なことに、この法解釈は、従来の学説からも支持されてきたのです。

具体的に見てみましょう。みなさんの知り合いの弁護士あたりに聞けば、おそらく現行犯逮捕の要件は次のように返ってくるでしょう。司法試験でも、受験生は、以下のように書きます。

  1. 犯行と犯人の明白性
  2. 犯行と逮捕との時間的・場所的接着性
  3. 逮捕の必要性

これが現在の一般的な理解です刑事訴訟法212条1項、213条、憲法33条。なお、準現行犯逮捕については、212条2項参照)。令状が不要となっていることに注意してください。これを、「緊急性の例外令状主義の例外」といいます。憲法33条では「現行犯として逮捕される場合を除いては」令状がなければ逮捕されないことになっています。なお、「例外」とは言いますが、現行犯逮捕の件数は逮捕総数に対して約4割を占めます。

では、なぜ令状審査が不要なのでしょうか?

従来の多数説によれば、「犯行と犯人が明白であれば、司法判断を経なくても誤認逮捕のおそれがない」ことが理由とされていました(田宮裕『刑事訴訟法』(有斐閣、新版、1996年)76頁等)。しかしながら、これこそが冤罪を生む原因なのです。つまり、現行犯逮捕された時点で法解釈論によって被疑者が犯人だとのバイアスがかかるのです。しかし、本当にそうでしょうか? では、なぜ痴漢冤罪などが起こるのですか?

そもそも誤認逮捕は違法でないことを説明しました。「誤認逮捕のおそれがない(低い)から逮捕してもよい」と考えることは、換言すれば、「真犯人である(可能性が高い)から逮捕してもよい」と考えることと同じです。しかし、最初に確認したとおり、通常の逮捕において、法文上も法理論上も、被疑者が真犯人である可能性が高い場合に逮捕できるとはされていません。通常逮捕で要求されているのは、逮捕の実体要件手続要件の具備だけです。そうすると、法的には「誤認逮捕のおそれがない(低い)こと」を直接の理由にすることは誤っていると考えられるわけです。完全に適法なものに法的に否定的な評価を下すことはできません。

それでは、どのように理解すべきなのか。もう一度、逮捕の基本に戻ってみましょう。現行犯逮捕では、通常の逮捕と比べて、令状発付という手続要件が不要なのでした。そうすると、まずは、こう考えなくてはなりません(※説明の便宜上の要件ですので、その旨、あらかじめご了承ください)

  1. 被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由
  2. 被疑者を逮捕する必要性

この実体要件は変わらないはずなのです。つまり、犯人でない可能性を含んだ要件ということには変わりがありません。この上で、現行犯逮捕を考えるにあたっては、令状審査が不要とされるのはなぜかという点を再考する必要があります。

既に述べた通り、令状審査の趣旨は、捜査機関の実体要件のごまかしを防止すること(後知恵の危険の防止)にありました。令状審査を経れば、犯罪の疑いが濃くなるわけではありません。そうすると、現行犯逮捕が犯行の現認性を要求し、他方で令状審査を不要とするのは、後知恵の危険が少ないことが理由だと考えるべきことになります(犯人の可能性が高いことが理由ではありません)。令状入手の時間的余裕のない緊急状況下では、犯行を現認した捜査機関等は、実体要件の認定をごまかす余裕がなくなると考えられるわけです(椎橋隆幸編『プライマリー刑事訴訟法』(不磨書房、第4版、2012年)71頁〔柳川重規〕)。簡単に言えば、捜査機関は「あのとき、ああしたことにして、逮捕の実体要件が具備されていたことにしよう」という言い訳がしにくくなります。時間的余裕がない中で、そのような「工作」はしづらいですし、仮にそのような「工作」を行ったとしても綻びは大きくなりやすく、あとからそれを見抜くのは容易になります。このような意味で、緊急状況下における「犯行と犯人の明白性」は、令状を不要とすることを導くのです。これは、あくまでも令状発付という手続要件の問題であって、実体要件の具備の問題とは論理的に別個の問題です。

「犯行と犯人の明白性」は、令状発付という手続要件の充足を不要とするものの、実体要件自体を変質させるものではなく、現行犯逮捕であったとしても令状逮捕と比較して要求される嫌疑の程度(実体要件)は変わりません。もちろん、手続要件の充足を不要とすることとの関係で「犯行と犯人の明白性」を現行犯逮捕の要件に据える以上は、その充足と同時に実体要件(特に相当理由)も当然に充足されます。そうすると、実体要件との関係では、現行犯逮捕において「犯行と犯人の明白性」という要件が設定される理由としては、「誤認逮捕のおそれが小さいから」ではなく、「正当な理由なき逮捕がなされるおそれが小さいから」という言い方が適切でしょう(宇藤崇ほか『刑事訴訟法』(有斐閣、2012年)66頁〔堀江慎司〕)。このことを表側から表現すれば、逮捕の正当な理由が明白であること、すなわち、逮捕の実体要件の具備が明白であることが理由なのです渥美東洋『全訂刑事訴訟法』(有斐閣、第2版、2009年)55頁)。そして、ここで重要なことは、現行犯逮捕の場合においても、実体要件が具備されても犯罪の証明にはならないということです。たしかに、「結果的には」現行犯逮捕のほうが真犯人の逮捕であることが多いでしょう。しかし、真犯人だから逮捕が可能なのではありません。現行犯逮捕であったとしても、被疑者が真犯人であるかどうかを判断するために逮捕する、という逮捕の基本的論理には変わりがないのです。実体要件は、その人が本当に犯人であることを要求していない点を、再度、強調しておきます。従来の多数説の理由づけを文字通りに受け取ると、冤罪を生みかねないのです。

【補論】誤認逮捕の違法性が認められた? 大阪地裁平成27年6月15日判決は、「誤認逮捕」を違法としたものではありません。マスメディアの見出しはミスリーディングです。まだ判決の全文を読めていないというか裁判所ホームページの判例検索でヒットしないので判決全文を読めないのですが、同事案では、国家賠償請求訴訟における違法性(あるいは過失)が問題とされているようです。国賠法1条における違法性判断は、法律による行政の原理を根拠とすることから行為規範違反がその内容であるとされ(行為不法説)、この上で判例は、捜査機関による捜査活動の場面だけでなく、検察官の公訴提起の場面においても職務行為基準説に立っています(最判昭和53年10月20日民集32巻7号1367頁・行政法判例百選Ⅱ235事件)。そうすると、違法性判断は刑事司法のいずれの段階においても「職務上通常尽くすべき注意義務を尽くしたかどうか」という個別具体的なものになります。前記最高裁昭和53年判決は、「逮捕・勾留はその時点において犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、必要性が認められるかぎりは適法」としていますが、要するに、上述した逮捕の実体要件があれば適法としているのです(行政法学では誤認逮捕についても行為不法説か結果不法説かで見解が対立しているようですが、逮捕の実体要件が具備されている限り被疑者のプライバシー・自由の合理的期待は後退していますから、少なくとも逮捕における手続的権利侵害は観念できません。刑事法学の立場からすると、行為不法か結果不法かという問いの立て方はかなり疑問です)。また、同判例は、検察官の公訴提起が違法となるかどうかについて、「検察官の心証は〔…〕起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りる」としています(その後の判例の推移から考えると、いわゆる合理的理由欠如説に立ったようです)。そうすると、大阪地裁のケースでは、おそらくは捜査の過程に被疑者の人格権侵害などの重大な違法行為があって、その結果として起訴が違法とされたか、あるいは、証拠状況から起訴するに足るほどの嫌疑の程度が高くなかったと判断されたのかもしれません。この意味で、同事案は、誤認逮捕が違法となるのかどうかの問題とはまったく関係がありません。もっとも、裁量訴追主義ないし起訴便宜主義刑事訴訟法248条)を採用するわが国では、起訴自体が違法と判断されることは異例といえるでしょう。

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