緋色の7年間

制約を原動力に。法律事務所の弁護士と大手企業の法務担当者が、時に制約と闘い、時に制約を迂回していきます。

用語法の闇について

こんにちは~

本日のテーマは、法学における「用語法」です。用語法なんか気にすれば気にするほどいくらでも問題にできるので、気にしないほうがいいのですが。

法律家はマスメディアに対して過剰にその用語法を攻撃しているのではないかと感じます。たとえば、よく見かけるのが「被告」と「被告人」が使い分けられていない旨の批判です。たしかに、日本の実定法上は「被告」と「被告人」とは使い分けられているのですが、別にたいした意味はありません。翻訳の都合上そうなっただけです。間違ったって意味は通ります。諸外国では使い分けているほうが少ないと思われます。マスメディアはドメスティックな法律家とは異なりグローバルな事案を報道で扱うことがあることを踏まえると、むしろ、報道において「被告」という呼称で統一することには合理性があります。これに対しては、日本の実定法に則して逐一「被告」と「被告人」に翻訳して報道すべきとの批判も考えられなくはないですが、諸外国では必ずしも民事と刑事が分離されていなかったりするので、使い分けは実際上困難ではないかと思われます。

つまるところ、マスメディアに対して「被告」と「被告人」の区別がどうとか言っている法律家は、見識が狭いのです。狭すぎ。It's a small world. そういうことを言うわりに、実定憲法レベルで使い分けられている「強要」と「強制」の違いがわからなかったり、黙秘権と自己負罪拒否特権の違いがわからなかったりするのはどうしてでしょうか。法的な意味が全然違うのですが。「推定無罪(正しくは「無罪の推定」)」とか「修正第4条(正しくは「第4修正」)」とか、そういう間違い方は許されるんですかね。そっちのほうが遥かに深刻ではないでしょうか。元の英語読めばこういう間違いをしないのでは…

あとは法律家(と学者。というか学者)の「おかしい用語法」に、「アメリカ流の審査基準論」だとか、「ドイツ憲法における三段階審査論」だとか、「キャリア官僚制」だとか、いくらでも出てきます。「審査基準論」なんかアメリカは採用していません。そもそも合衆国憲法に経済的自由の規定なんかないですからね。「二重の基準論」とか、もはやアメリカ関係ないし。そもそも「審査基準論」って何の訳語ですかね。ドイツに至っては憲法自体が存在しません。日本の官僚は「キャリアシステム」と言われますが、あれは建前上「職階制」であり、キャリアシステムは採用していないことになっています。やたら広範囲で不明瞭なジョブがあるだけです。…などなど、実定憲法レベルだけでも用語法がアレな状態なのに、マスメディアにおける「被告」と「被告人」の区別とか実益のないことを批判してどうするのでしょうか。「被告」という用語が「犯罪者」を連想させる、というご趣旨であれば、全然別の問題であり不適切です。それならば、批判すべきは、刑事司法の運用のほうでしょう。

たいていの誤用は教科書とか講義とか誰かの言い回しを何も考えずにそのままコピペしていることが原因で生じています。上にあげたものに共通して指摘できることは、法の歴史的沿革や外国法(というか外国語)といった観点が見落とされているという点ですかね。他人のことはいえませんが、もう少しなんとかならないものでしょうか…

まさに闇。理論的に闇というか、扱っている人たちの感覚が闇。

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